空を拒む鳥
薄暗い学校の教室の中、一人窓際に寄りかかる。 床には名も知らぬ少女たち。 そして、壁に張り付いているのは長年わたしに付き添ってくれた使用人。 これだけ人間が居て、動くものは私だけだった。 空を拒む鳥 初めて琥珀以外の血を口にしたのはいつのことだっただろうか。 はじめは多少なり恐怖があった。しかし、やめられない。 当然だ。こんなに気持ちがいいものをなぜやめなければいけないのか。 今となっては恐怖を抱いていたことが不思議だ。 それに、これは兄さんのためにやっていることだ。 兄さん、わたしの大切な兄さん。 身を挺して私を助けてくれたとき、いや、それよりももっと前。兄さんが遠野の家に来てまもなく私は彼に惹かれていった。 その声、無邪気に笑ったときの顔、ふとした何気ないしぐささえ切り取って自分のものにしまいたかった幼年期。 兄さんの居ない8年は、それだけで罰だった。 一日として兄さんを想わぬ日は無かったし、兄の存在がただの記憶に成り果てて磨耗していくことが何より怖くて、自分というものがどんどん希薄になっていく気がした。 父様が亡くなって遠野の党首になった時、一番最初に感じたものは、これから遠野の家を継がなくてはならないというプレッシャーでも、最も近しい親族を失ったことによる悲しみですらなく、そこにはただ「これで兄さんに会える」に会えるという喜びがあるだけだった。 当主たるものそれくらいは許されてしかるべきだし、もし許されなくても遠野の名を捨てて有間の家まで兄さんに会いに行けばいいだけの話しだ。 兄さんさえ側に居てくれるのなら、他のものなど全て瑣末ごとだ。 兄さんが居なくてはもう、私は私たりえない。これだけ大切なものを二度も失ったら自分の足で立てるわけがない。 でも、その心配もきっと杞憂に終わる。今の兄さんはちょっと迷ってるみたいだけど、これだけ兄さんを想ってる私の気持ちが伝わらないなんてことあるはずがない。 私が兄さんを何よりも大事に想っているのと同様に、兄さんも私を一番大事にしてくれるはずだ。 そうでなければ8年前にわたしの身代わりになって死ぬようなことはできないし、第一、そうでなければ不公平ではないか。 明日だ。明日になれば兄さんは私を迎えにきてくれる。 と、校舎に誰かが入ってきた。 否、誰かなどというその他大勢のために用意された呼称を使っては失礼にあたる。 命を共融しているのだ。このくらいのことはわかる。 ────兄さんが、来てくれた。 私は兄さんに自分の場所を知らせてはいないし、兄さんにはそれを知る術はなかったはずだ。 ならば、これが答えだ。兄さんはわたしへの「想い」でここまで来てくれた。 兄さん、かわいい兄さん。時間は明日まであるのに、もう我慢できなくなったんですね? でも、うれしいです。兄さんはやっぱり秋葉を選んでくれたんですもの。 さあ、秋葉はここです。そう、階段を上がって、廊下を右に。三番目の部屋のドアを開ければ──── はい、よくできました──── 教室を入り口に立つ愛しい人姿に、私は感動すら覚えた。 道順を一つも間違えずにくるなんて、よっぽど私に会いたかったんですね? 自然と口も歪んでくる。当たり前だ、これだけ恋焦がれた人が自分のために動けないはずの体に鞭打って会いに来てくれたのだ。油断すれば涙さえ流してしまいそうだった。 「秋葉、琥珀さんはどこだ」 だというのに、兄さんったら第一声から琥珀のことなんて口にする。 兄さん、なぜ秋葉を見てくれないんです? せっかく無理してここまで来てくれたのに、そんな人形のことなんてどうでもいいじゃありませんか。 ああ、でもこんなことで怒ってちゃ兄さんにふさわしい女にはなれないわね…… いらだつ気持ちを抑えて琥珀のほうを見やると兄さんは呆然と立ち尽くす。 全く、使用人風情に手をあげられるなんて…… でも、一回くらい手をあげられたからといって琥珀を殺すつもりなんて無い。今まで良く尽くしてくれたのは事実なんだから。 ただ、興味がなくなっただけだ。 「秋葉。お前────!」 兄さんは言いながら壁のほうで浮いてる琥珀に駆け寄った。 …………何かが、おかしい。 ふと冷静に考えてみた。 そうだ。よくよく考えてみるとおかしいことだらけなのだ。 いくら兄さんの想いが強くても、家からでるほどの体力なんてあるはずないし、ましてや学校に来るなんてまず不可能だ。 そうこうしているうちに兄さんは見惚れるほどの体捌きでナイフを振るう。 そして、その直後琥珀を縛りつけていた力が「殺されて」いた。 おかしい。そんな「私にも不可能」なことを兄さんがあっさりとやってのけたこともおかしかったが、兄さんはそんなに動けない。そんな力は残していない。 混乱する頭を抱えていると、兄さんがこっちに振り返る。 瞬間。言葉をなくした。 「────なんて、綺麗な────蒼い、眼」 まさか、まさかまさかまさかまさかまさか。 「まさか────」 ダメ。それ以上考えちゃダメ。兄さんはそんな事はしない。絶対にしないんだから……! 「兄さん、貴方────琥珀と、契約を、したんですか」 「……………」 兄さんは何も言わない。 でも、それだけで十分わかってしまった。 ────兄サンハ、私ヲ、殺シニキタ。 「うっ………あ、え────ぐ」 吐いた。恥も外聞もなく胃の中のものを吐き出した。 ウソだウソだウソだウソだウソだ──── 必死にごまかそうとしたところでそれすらかなわない。 だって、兄さんはこうしてここにいるんだもの──── 「────泥棒猫。殺しておけばよかった」 そして、この使用人を初めて本気で殺したくなった。 でも、気づいてしまった。 「あは、あはははは」 そう、もう私は兄さんにとって「必要なもの」じゃない。 琥珀の助けさえあれば私なんてもういらないのだ。じゃあ、こんな「化け物」なんて居るだけ目障りだろう。 「お前が血を吸わなくても、俺は大丈夫だ。……俺は琥珀がいてくれれば、それで────」 驚いた。兄さんがあんなことを言ってる。「お前はもう用済みだ」って。 なんだろう、私は。 ずっと兄さんを想い続けて、あんなに大事にして。 今でも、気が狂いそうなほど愛していたのに。 そこまでしても私のほうに振り向いてくれさえしないのなら。 そんな兄さんなんて、もういらない。 この期に及んでまだ戦う気になれない兄さんにむけて力を振るう。 兄さんを殺すものがいるというのなら、それは私だ。他のなにものにも、兄さんに傷なんてつけさせてやらない。 だというのに、兄さんは私から逃げる。 「………は?」 一瞬状況を理解し得なかったが、どうやら兄さんは外にいるらしい。それも、なんらかの力を行使したわけでもなく、ただ単純に体術でこちらの動体視力を上回った。 そうして、教室から出て兄さんの足を奪おうとするも、ナイフを一振りするだけで兄さんは私の力を「殺して」しまう。 「また────どうして、そんなことができるっていうのよ、貴方は……!!」 声をかけたところで兄さんの反応はない。それどころか、私を見てすら──── 「────────秋葉、さま」 兄さんの視線の先から声が聞こえる。 兄さんを殺すなとか、血を吸うなとか。耳障りな声を響かせている。 でも、この子はわかってない。私はこんな自由な気持ちを知らない。こんな愉快なことを知らない。 すでに私は引き返せないところまで来ている。こんな楽しいことをどうやってやめればいいのか、私は知らない。 それでも琥珀はさえずり続ける。 「……うるさい。貴方にそんな善人ぶった台詞を吐く資格なんかない……!」 私の言葉に琥珀は黙り込む。 「そうか、兄さんは知らないのよね。全ては琥珀の計画よ。遠野家の人間に復讐するために兄さんは利用されたんです。琥珀にとっては、私も、兄さんも駒でしかなかった……!」 涙は、言っているうちに自然にあふれてくる。 「それでも、それでも兄さんは琥珀を選ぶって言うんですか……!」 そこまで言っても、兄さんの表情が崩れることはない。 「………知ってる。そんなことは、前から解っていたんだ、秋葉」 「「え?」」 出た声は二つ、もちろん私と琥珀の声だ。 「琥珀さんが俺を利用しているって、そんなことはとっくに知っていた。……けど、そんなことは関係ないんだ。俺は琥珀さんを愛している。だから琥珀さんが何をしようと────俺は、琥珀さんを信じていただけなんだから」 兄さんが、信じられないことを口にした。 「────は。あはは、は」 壊れた。今まで抱えていた「遠野秋葉」の何かが壊れた。 「……なによ、それじゃ私はとんだ道化じゃない。私はどんなものより欲しかった人に拒絶されて、その欲しかった相手は愛して相手に道具扱いされている。それでも────それでも兄さんを手に入れられるなんて、ふざけないでよ琥珀……っ!!!!」 「秋葉────────!」 兄さんは全力で走るけど、どう考えたって間に合いっこない。 あの距離を視線よりはやく駆け抜ける生物を私はしらない。そして──── とす、という軽い音とともに、長年付き添ってくれた使用人はゆっくりと倒れていった。 そして、気づいた。兄さんを私のものにする、たった一つの方法。 全部、奪っちゃえばいい。兄さんの手も、足も、声も、魂さえも。全て奪い尽くせば、兄さんは私だけのものだ。 どうして気づかなかったのか。そうすれば、兄さんは他の女のところへなんかいかないし、ずっと秋葉だけの兄さんだ。 ねえ、兄さん。私、もう兄さんに私を愛してくれなんていいません。兄さんは私を想ってくれなくてもいいです。ですから──── ────兄さんの全てを、秋葉にくださいな。 |
二日連続リクSSだよ。
なんか最後の方ものすごい展開の速さでしたが、一応書き上げました。
まさか同じようなシチュエーションのSSを二本書くことになるとは思いませんでした。
とかく、縛りがなければ10kなんて夢のまた夢みたいです。
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