剣と椿と約束と





 あなたは、それがどんなことでも大事な人との約束を守り抜くことができますか?









剣と椿と約束と





 とある国のはずれ、静寂に包まれた森でただ一箇所剣戟が響く場所、その中心に私はいた。

「く……!」

 その場にいるのは3人。私と、私と剣を交えている甲冑の騎士、それに傍らの岩に腰掛けて本を読んでいる老人である。
 剣はその後何度か交わり続けたが、やがて鳴り響いたひときわ高い音がその終わりを告げ、勝者と敗者がはっきりと分けられていた。つまり、前者が甲冑に身を包んだ騎士であり、後者が私だ。甲冑の騎士は私の喉元に剣を突きつけたまま動かない。そのとき、岩に座っていた老人が腰をあげた。

「ふぅ……アルトリアよ。こんな老いぼれのイメージすら崩せんでどうする。そんなことでは真の王など夢のまた夢ぞ?」

 そうして老人が読んでいた本を閉じると中身のない甲冑は崩れさり、土に還っていった。

「何を……百年単位で生きてきた妖怪のイメージなど易々と崩せるものか」
「凡人であるならな。それとも、主が目指すのは他の有象無象同様贋作の王か?」
「……」

 この妖怪に反論した私が間違っていた。このマーリンという魔術師、腕はいいが些か口が悪すぎる。

「……もう一度、やろう。次は打ち砕いてみせる」
「まあ、そう焦るな。少し休憩を入れよう。さっきからもう何戦も続けておる。体力の消耗を計算に入れておるか?」
「……わかった。では、少しだけ休憩を──」

 入れよう、と続けようとした時、少し離れた茂みがガサリと音を立てた。

「誰だ……!」

 言うと同時に走り出す。途中でさっき飛ばされた剣を拾い上げ、他の世界をすべて排除してただ音のした方に向かって駆けた。先ほどからずっと潜んでいたのだろう、注意してみると人の気配が濃く残っている。これに気づけなかったなんて……マーリンに何を言われようが反論などできようはずもない。
 一息で茂みに飛び込み、中にいるものに向かって剣を突きつける。野盗の類ならすぐにもでも斬るつもりだったが──


「あ、その……わたし……」
「……少、女?」

 草むらの中で剣を突きつけられ怯えていたのはどう見ても人など襲えそうにない少女だった。見れば、マーリンが後ろで含み笑いをもらしている。

「くっくっく……そなたに気づけるのにわしが殺気の有無もわからんとでも思うたか? 若い若い」
「……」

 繰り返すが、この老人は口が悪い。勿論、性格も捻じ曲がっている。

「……で、君はなぜそんなところにいる?」
「いや、わたし……木の実をとりにきたら、音がして……」

 なるほど。確かに、静かな森の中において、一箇所だけ派手な音が聞こえていたらそれは気になるだろう。まあ、そのせいで私はこうしてマーリンにいいように遊ばれているわけだが。
 しかし、あれだけ打ち合いに集中していれば周りの音などに気を配ってなど……いや、戦場でそのようないいわけは通じないか。こんなことを口にしてもまたマーリンの嫌味の餌になるだけだ。
 それに、少女のそばにはひっくり返ったカゴと、その中に入っていただろう幾種類かの木の実が散らばっていたことから見ても少女の言葉に偽りはないと見ていいだろう。

「ふむ……」

 少女のそばにしゃがみ、辺りにばら撒かれた木の実を拾う。

「あ、あの?」
「どうした? この木の実はわたしのせいで散らばったものだろう。私が拾ってなにかおかしいことでも?」
「いえ……ありがとうございます」

 そういった少女と二人で少しの間、木の実を拾い集めた。







「どうもありがとうございます。あの……明日も来ていいですか?」
「は?」

 それが木の実を全部カゴに戻し終えて、一度落ち着いてからの少女とわたしの最初の会話だった。

「いえ、ご迷惑ならいいんですけど」

 私の反応で拒否されたと思ったのだろう、少女は申し訳なさそうにうつむいた。
 返答に困ったわたしはと言うと、マーリンの方を見やってみたが、そんなわたしの困惑を楽しんでいるだろうマーリンはそ知らぬ顔で本を読んでいた。

「……まあ、私は別に構わないが。どうしてまたこんなところに好き好んで……」
「あなただって自分の意思で『こんなところ』にいます」
「いや、私は……」
「わたし、剣のこととかあんまりわからないんですけど、わからないなりに綺麗だなって思えて、それでまた見たいなぁって思ったんです」

 綺麗、か。当人からしてみれば必死なだけで、むしろ無様なものだと思っていたのだが。
 その瞳があまりに真剣だったせいだろうか、彼女の言葉を否定する気にならなかったのは。いつもの自分なら真っ先に反論しているところだろう。

「……名前は?」
「はい?」
「名前を聞いた。これから顔を合わせて行くのに名前も知らないというのはなにかと不便だと思うのだが」
「あ、はい! えっと……わたし、アリアです!」

 前置きなくたずねたせいか、少女──アリアは最初私の言葉が意味するところがわからなかったのだろう、一瞬呆然としていたがすぐに満面の笑みで応えてくれた。そして、その名前は儚げな彼女の第一印象によくあった名前だった。

「……いい名だな。そなたにふさわしい名だ」
「え? その……」

 口にだしてみると彼女は見る見る顔を赤くし、明らかに返答に困っていた。その姿を眺めているのも悪くはなかったが、話が一向に進まなくなるのでこちらも自己紹介をした。

「私はアルトリア。さきほども言ったが、剣の修行でここに来ている。故にいつ去るかもわからないが、それまで、そなたがここを訪れる限りは共にいよう」
「はい。どうぞよろしくお願いします」

 そういって彼女は深々と頭を下げてから、母の手伝いがありますから、と言ってその日は急ぎ足で帰っていった。

「気に入ったか?」

 彼女の姿が見えなくなってすぐ、それまで黙っていたマーリンが声をかけてきた。

「ん? ああ。彼女の慎ましやかな外見と、それに合った性格はなかなかに好ましい」

 聞かれるがままに彼女の印象を答える。それは感情を込めない客観的な意見をいったつもりであったが、マーリンは口を歪めて悪戯好きの子供のような表情で、

「惚れたか?」

 などと心底楽しそうにのたまってきた。大方私が慌てるとでも予想していたのだろう。だが、もとより一目見ただけの他人に惚れるほど豊かな感情を持ち合わせてもいないし、まず第一に、

「痴れ者が……そんなわけはなかろう。そもそも、私の体は一応女だ。そう易々と女性に惚れるようなことがあるものか」

 ということだ。私とて男に生まれたかったと常々思っているが、こればっかりは自分の意志でどうなるものでもない。したがってアリアも一目惚れの対象にはなり得ない。
 ……まあ、もし私が男だったら、と考えるとひょっとしたらひょっとしていたかもしれないが。その、2%くらいの確率で。

「そうか? しかし、お主は女王ではなく王として国に君臨するのだぞ? 男を好きになるよりは女子を好きになるように練習しておいたほうがいいのではないか?」

 マーリンの声には人をからかうような響きがあったがその目は少しだけ真剣だった。
 私は王になった後、アルトリアという私を捨てる。そこに残るのは王としての私であり、個人としての私ではない。したがって私個人の嗜好など問題にはならないはずだ。
 しかし、今マーリンが言ったのは私の気持ちの話だ。人をバカにするのが生きがいのようなこの老人にも人を想う気持ちがあるということに驚いた。

「……わかった。考えておこう」

 もしかすると初めてみせたかも知れない真剣な目だったから、その必要がないにも関わらずその言葉に込められた気持ちを忘れないようにしようと思った。

「ほ? てっきりムキになって否定するものかと思っていたのだが」

 ……前言撤回。やはりこの老人には性格の改善が必要だと思う。






 アリアは美しいというよりも綺麗という言葉が似合う少女だった。薔薇というには控えめすぎ、タンポポというには可憐すぎた。そう、たとえるなら椿のような、そんな少女。
 彼女はそれから毎日のように訪ねてきた。私は剣の修行をしていたし、マーリンはもとから相手にする気などなかったため、アリアはいる時間のほとんどを私たちを見て過ごした。
 それでもただひと時、アリアは訓練でできた私の怪我だけは自分で処置すると言ってきかなかった。そのときだけ、私は彼女と会話をした。もっとも、会話といってもアリアのいったことに私が相槌をうつだけで、ほとんど彼女の独り言に近いものだが。
 こういってはなんだが、アリアの話はなんでもないつまらないものばかりだった。昨日どこそこで小さなリスを見つけたとか、実は料理が得意だとか、私にとってはどうでもいい日常を柔和な笑顔で語りつづける。
 だが、ふとした日にそんなつまらない話を一日の楽しみにしている自分に気づく。今まで一緒にいるのがマーリンだけだったということもあるかもしれないが、剣のみに生きる毎日にあって彼女がうらやましく思えることもあった。
 私が送れたかもしれない日常。自分から王になると決めておいたにもかかわらず、そんな見苦しいことを考えていたのかもしれなかった。









「アルトリアさん。わたし……明日からこれなくなりました」

 半年ほどたったある日。マーリンとそろそろこの森を離れようかと話し合っていた時期にアリアは私にそう言った。

「……そうか」
「はい、そうです」

 いつもどおり私の怪我の治療(応急処置のレベルだが)をしながら語りかけてくる彼女に、私もいつもどおりの返答をした。

「ちょっとした家の事情でもうここに来ることはないと思います。だから、多分アルトリアさん達と会うのも今日で最後です」
「……そうか」

 何故か……いや、はっきりともうこうして彼女の話を聞くことがないと感じて私は少なからず寂しさを覚えていた。

「……ちょうど私達ももうすぐここを去ろうとしていたところだ。だから、どのみち会えなくなっていただろうな」
「そうですか……」

 顔をアリアの居ないほうに向けて話すと、相槌が返ってきた。いつもとは違う二人の関係。私が話して、アリアが相槌を打つ。初めて会った日以来、初めて交わす会話。

「……アルトリアさん」
「ん?」

 ふと呼ばれて振り向いてみると、アリアは真剣な顔をしていた。

「……どうした?」
「おねがいがあるんです」
「おねがい?」
「はい。お願いです。叶わない可能性も高いおねがいですけど、他の人には頼めないし、頼みたくないんです」
「えらく高く買われたものだな。それだけ言われたら断るわけにもいかないか……とりあえず聞いてみようか」

 今まで自分のことを話すだけで私に何かを求めることなどなかったこの少女が何を求めるかということに興味があったのかもしれないし、今まで見せたことのない真剣な顔に心を動かされたのかもしれない。怪我の治療は既に終わっていたが、彼女の話を聞こうと思った。

「はい。もしも……もしもですよ? これから先、わたしがアルトリアさんと会うことがあって、その時わたしがわたしで無くなってたら……そのときは、あなたの手でわたしを斬ってくれませんか?」
「……は?」

 唐突すぎてわからなかった。

「……アリア。自分の言っていることがわかってるか?」
「勿論です。もし死ぬんだったらアルトリアさんの綺麗な剣がいいなぁ、と思って。でも、わたしも痛いのは嫌だからできるだけわたしのままでいます」

 再び柔和な笑顔を浮かべて言うアリアの言葉は、聞けば聞くほどわけがわからなくなっていく。

「……」
「ダメですか?」
「まあ、あまり聞いてて気持ちのいい話題ではないな」
「一生のお願いです」
「一生のお願いって……」
「はい、わたしがアルトリアさんに何か頼むのはこれで最後ですから、これがわたしの一生のお願いです」

 彼女らしくない冗談かとも考えてみたが、どうやらそういうわけでもないらしい。つまり、彼女は本気でもしもの場合は私に殺してくれといっているわけで。しかも一生の願いとなれば、それを無下に否定することが私にできるはずもなかった。

「アリア、私は一度誓いを立てたらそれを違えることは無い。そのときになって泣いて頼んでも迷いはしない。それでもお前は殺してくれというのか?」
「はい、わたしは、わたしの意志であなたに殺されることを願います」
「……わかった。それでは誓いをたてよう。我は汝の意志により汝を貫く刃となる。汝、ここにその意志を我に委ねることを誓えるか?」

 親指に歯を立て、強く噛む。そして血のにじみ出た親指をアリアのほうにむける。

「はい。わたしは、わたしの意志であなたに貫かれることを望み、その意志をあなたに託すことをここに誓います」

 同じように親指を噛み、差し出された親指に自らの親指を重ねるアリア。

「ここに、契約はなされた」

 なんの魔術的意味もない簡素な儀式。それでも私は誓いを違えない。彼女の真剣な瞳と、親指の誓いにかけて、例えそのときになって彼女が拒否しようと、私を憎もうとも彼女を殺してみせる。
 もっとも、私達が合う可能性からして低いのでその誓いが果たされるかどうかは怪しいものだが。

「なんだか、ドキドキしました」
「私も儀式など真似事しかできない。それでも私はこの親指を見てこの誓いを決して忘れないだろう。しかし、私にはアリアがアリアで無くなるなんて想像ができない。短い付き合いだが、お前が絶対に悪者にはなれないことくらいはわかる。きっとアリアはずっと今のままだ」
「いいんです。こういうのは気持ちが大事なんですから。ほら、こうすればわたしも悪いことできないでしょう? それに……」
「……それに?」

 アリアの言葉の先が推測できずについ聞き返した。しかし、彼女はその先を言おうとはしなかった。

「アリア?」
「いいえ。なんでもないです。それじゃあ、これでお別れです。また会えたらいいですね。もちろん、わたしがわたしのままでっていう条件つきですけど」
「あ、ああ……」
「じゃあ、さようなら。マーリンさんも、どうぞお元気で」
「うむ……」

 マーリンは傍らで本を読みつつ、アリアの言葉に対してつまらなそうに返事をした。
 そうして真っ白な椿の少女は最後に今までで最高の笑顔を残して、私の前から姿を消した。

 残された私はというと、彼女の最後の笑顔と紡がれなかった言葉の内容がずっと気になっていた。


















 ──数年後。

 辺りは血と炎と人の焼ける匂いで包まれている。ブリテンの国のはずれの中にあって、栄えた街の一つ。領主が叛乱を起こしたと言う情報は、嘘であればよかったのに、街の見張りは私達を見るや否や襲い掛かってきた。結果、街は壊れ、人は死んでいく。しかし、さしたる軍備もなかったらしく、数刻をもって領主のこもっている屋敷以外は難なく片付いた。あとは、この出来の悪い舞台の監督をたたききるだけだ。

「ガラハッド、トリスタン。この場は任せた。抵抗するものは容赦なく切り捨てろ。ただし、降伏するものには決して危害を加えるな。命令を破ったものは私自ら切り伏せると伝えろ。ランスロットは、私と来い!」

 街の内部、周辺の後始末を騎士に任せてランスロットと二人で屋敷に乗り込んだ。街の人口から考えても内部にまだ敵が大勢いるという可能性は低かったし、あまり大勢で行って罠がしかけてあった場合、身動きがとれずに痛手を負う可能性もあったからだ。
 虚勢を張りたがる小物というのは得てして最深部か最上階にこもるものだ。しかしこの領主、頭が切れるのか、それとも度し難いほど愚かなのか、そういったところには隠れずに自らの寝室にいた。

 そして、私とランスロットは、そこで言葉を失った。


 この男が頭が切れる?

 失望と納得を同時にした。なるほど、こういう男なら大した準備をするまもなく情報が漏れるだろう。今まで様々な人間を見てきたが、これほど愚かな男はそうは居なかった。




 領民が死んでいき、苦しんでいる間に自分は女を抱いているなど────!




「か、かは。早かったですな。女を抱く暇も稼げぬとは脆いものだ。それともやはり王の軍隊が鍛えられているということですかな?」

 もはやかける言葉もなかった。怒りは脳に浸透し、体は冷たくなっていた。人間、憤怒のレベルが高すぎると、かえって冷静になるものだ。

「しかしですな、王よ。ノックもせずに人の寝室に押し入るとは、些か礼儀に欠けるのではありませぬか?」
「貴様……!」

 隣に控えているランスロットが今にも飛び掛りそうな勢いで怒り、剣に手をかけている。彼もまた私と同じ気持ちなのだろう。

「かはははは……どうせ死ぬのなら、最後くらい悦楽を味あわせろというのだ……!」

 醜い。

 もうこの男の言葉を耳に入れるのも、同じ空気を吸うことさえ嫌気がさしていた。
 抜いた剣をゆっくりと掲げ、未だ腰を振り続けているこの醜い男を、組み敷かれている女に傷をつけぬように、背中から切りつけた。

「がはぁぁぁ!」

 雄たけびを上げてびくんびくんと痙攣する領主。怒りは決して収まるものではなかったが、それでも斬らずにやりすごせるものではなかった。

「この豚が……斬られてイキやがった……」

 ランスロットはありったけの敵意と侮蔑をこめ、伏せている男にツバをはきかけた。
 数秒前の私なら、同じ行動をとっていたかもしれない。

 しかし、私は男の下から現れた影を認めて、もう一度言葉を失い立ち尽くしていた。
 そして、彼女があの時なんと言おうとしたか、なぜあんなことを言い出したのか、全て理解できた。

「……」
「王、どうしますかこの男。まだ息があるようですが」
「……」
「王?」

 返事を返さない私をランスロットが怪訝な顔で呼びなおす。

「……連れて行け。後始末はお前に任せる。今はこの女と二人にしてくれないか?」
「は? しかし……」
「頼む……」
「……わかりました」

 そうしてランスロットは全裸の領主を連れて出て行った。あとに残されたのは私と、真っ白な椿の少女────




「アリア──」




 今にして思えば、なぜソレの存在を知りつつその可能性を考えなかったのか。彼女が汚されることはないと寝惚けたことを考えていたのか。これでよく人のことを愚かだなどといえたものだ。
 悪党になる? そんなこと彼女は最初から危惧していなかった。何も気づけなかった愚かな私に合わせてそんなフリをしていただけだ。
 奴隷として、性欲の捌け口としてあの男に売られると知った彼女が恐れていたとすればそれはただ一つ。













「あれ? あはは、あるとりあだー」












 ──自らが壊れて、自分が自分でなくなるということ。








「アリア……」

 もう一度彼女の名前を呼び、ベッドに座ってる彼女のそばにひざまずく。
 領主がよほど急いでいたのだろう、彼女は服を着たまま犯されていたので衣服の乱れはあったものの白いワンピースを身にまとっていた。
 何年もかけて犯され続け、砕かれた魂でもって、アリアはまだ美しかった。そして、数年前、最後に見せてくれたあの笑顔で、美しくて、やさしくて、見るものにどこか悲しい印象を与える笑顔で笑いかけてくれた。

「どうしたの? 泣きそうな顔してるよ? どこか痛いの?」

 真実、泣きたかった。泣きたくて、心が痛くてたまらなかった。そんな私の腕に少しだけついた擦り傷を認めて嬉しそうに言った。

「ほら、やっぱりけがしてる。ちゃんと治さないとばいきんが入るんだから。ちょっとまってね、タオルはここにあるから、あとは水でぬらして……あれ? 水がないね。う〜ん……しょうがないか、ちょっと汚いけど、がまんしてね?」

 そういってボロボロになった布を自分の舌にあててぬらし、私の傷を拭きだした。以前と変わらない、やさしい手つきで。
 そのやさしさが痛すぎて、また泣きそうになる。

「染みるの? でもがまんしなきゃダメだよ? あるとりあはきれいなのに自分を大事にしないから。だからわたしが大事にしてあげなきゃいけないんだ。 ……はい、おしまい!」

 それが彼女が私の治療をしにきていた理由。剣が綺麗などと言って、本当は私に怪我をさせたくなくて、それでも私が怪我をするのはしょうがなくて、それでせめてちゃんと治療をしようと考えていたわけか。

 彼女を見ていると、どんどん自分が惨めに思えてきた。

「どうしたの? まだどこか痛むの? しょうがない子だね。あるとりあは。ほら、こっちにおいで? 頭なでてあげる。あのね、おかあさんがね、むかしよくやってくれたの。わたし、泣き虫たから。それでね、すごいんだよ? おかあさんが頭をなでてくれたら、すごくおちつくの。わたしはね、それが気持ちよくて、おかあさんのひざまくらですぐ寝ちゃうんだ。それでいっぱい寝たらね、もう泣きたいのがなくなっちゃうの。だから、あるとりあもぜったい泣きたいのがなくなるんだから」

 言われるがままに彼女のそばによると、アリアはそっと私の頭の上に右手をおいて、ゆっくりと動かしだした。












 限界だった。




 この少女を連れて帰る。そして償おう、許してくれるかどうかなどわからないが、私は彼女のやさしさに応えたかった。

「もう大丈夫だよ、アリア」

 頭に置かれた右手をできるだけやさしく握り、一緒に立ち上がる。
 そのとき、彼女の親指に刻まれた古い傷が目についた。

 小さくて、消えそうで、それの存在を知らないものの目にはとまらないような傷。



 私と、同じところにある傷。



「……何をやっている」


 つないだ手を離し、自分の頭を殴りつけた。自分の惨めさに負けて誓いも信頼も手放すところだった。
 連れ帰って、彼女を保護して、それでどうなる。
 根気良く治療をつづければいつかは正気をとりもどすかもしれない。しかし、数年前の彼女はそれを望んでいただろうか。否、それは彼女のいうところの「アリア」ではない。だからこそ彼女はあれだけ真剣に誓いを求めたのだろう。

 自分を殴る私を見て不安になったのだろう、アリアは困惑した表情で私を見つめている。そんな彼女を静かになだめた。

「アリア、すまなかった。一番重要なことを、間違えるところだったよ」
「どうしたの?」
「いいや、なんにもない。そうだ、ちょっと座って目を瞑っててくれないか? すぐに終わるから」
「なぁに? ぷれぜんと?」

 質問を返しながら言われたとおりその場に座るアリア。

「あぁ、アリアと私の……ずっと前に約束したプレゼントだ」
「? なんだかよくわからないけど……わたし終わったらちゃんとおしえてね?」
「そうだな……ちゃんと教えてあげるから」
「はい、じゃあ目をつぶればいいんだよね?」

 そういって、彼女はゆっくりと目を閉じた。

 そして、私はその彼女の姿を目に焼き付ける。

「我は汝の意志として、刃として、ここに誓いをはたす」

 剣を掲げ、契約を果たすことを告げてから、彼女の剣として最初で最後の一振りを少女へ────
















 ──そして、戦の終わりを告げる一輪の赤い椿が、戦場に咲いた。

















 朝、土蔵ではなく自分の部屋で目を覚ます。夢に見たのは遠い昔の少女の記憶。となりの部屋で寝ている小さな少女の記憶だ。

 彼女はいつもああやって自らを痛めつけていたのかと思うと、やりきれなくなる。今すぐにでもしかりつけてやりたかったが、彼女はまだ隣で寝ている。いくらなんでもいきなり起こして説教されれば誰だって腹がたつだろう。そんな律儀な自分がちょっと憎らしくもあったが、もはやこの性格は矯正できないと思う。
 遠坂あたりならたたき起こして説教の一つや二つやってのけるのかもしれないが、生憎俺は遠坂ではない。となれば、俺は俺らしく彼女をいたわってやることしかできないわけだ。


 そうして台所に立って朝食を作りながら考える。
 もし世界中のみんながそうであっても、俺は俺のせいで彼女を傷つけるようなことはやめよう。そして、彼女自身のためであってもなるべく傷つかないようにしよう。
 そんな風に思考をめぐらせていたら、包丁さばきを誤って指を少し切ってしまった。

「いた……くそ、親指を切るのはまあいいとして、指の腹のほうを斬るなんて……」

 どうかしてる、と言いかけてちょっとしたことを思いつく。
 本当なら相手にも同じことをさせるべきなのだろうが、寝てるセイバーの指なんて切ったらそれこそ後が怖い。
 しょうがないから、一人怪我をした親指を掲げてから、

「俺は、俺の意志によって彼女を守る盾となる。ここに、その意志を貫きとおすことを誓います」

 何の魔術的意味も無い儀式を行って、自分の心に誓いを立てた。




 そんな俺を、後ろの居間にある白い椿だけが見ていた。








ごっつ疲れた。ものごっつ疲れた。
空色さんにリクしてそのかわりにリクされたものですが、遅れに遅れました。空色さん、もうしわけない。
ポルノグラフィティの曲に「カルマの坂」ってのがあるんですけど、それの話をしてるときにSS書いてみようかって話になってできた話です。

そして、今回思ったのですが原作に出てないキャラ(オリキャラ?)は本当にむずかしいです。
全力でやってみましたがちゃんと動いているかどうか。
まあ、原作のキャラなら動かせるのか?ときかれたらたこ殴りに会うしかないのですが。もしくは沈められる。

とにかく、どうにかこうにか完成までこぎつけました。今までで最長だこんちくしょう。


批評,感想などありましたらぜひ教えてください。特に批評を。なるべく次に生かせるようにしたいので。
「ここはこうしたほうがいいんでない?」とか感謝感激雨あららしです。
意見交換の場になればいいかなー、と。









戻る

SEO [PR] おまとめローン 冷え性対策 坂本龍馬 動画掲示板 レンタルサーバー SEO