月に散る歌─皐月唄─










 トン。


 暗い路地裏で軽い衝撃に貫かれた。
 わたしが体を預けてる男の子は魂の抜けかけた顔で中空を見ている。
 もしかしたらこんな風なのかな? って少し予想はしていたけど。


 「それ」はわたしが思ってるよりも全然痛くなくて、でも決定的になにかが無くなっていく感じがして。

 ああ、これが死んじゃうってことなんだろうなー。なんて思ったとき、頭に浮かんだものはたくさんの思い出達────











月に散る歌─皐月唄─













「ど、どうしよう……」

 正直言って大ピンチ。プリントをたくさん抱えて職員室まできたはいいものの、扉がどうしても開けられない。
 プリントが多すぎるってこともあるし、何より重くて手を離せない。
 こうなったら最後の手段、片足を上げてそこにプリントを載せてから扉をガラッと開けてしまおう。

 っと、その前に周り誰もいないよね……?

 この手段なら多分うまくいくだろうけど女の子としてはちょっと人様に見せられる格好じゃないし……って、ドアを開けるんだから先生方に見られちゃうか……


 そんなこんなで逆戻り。どうしようかと一生懸命考えてたら横から手がにゅっと伸びてきてドアを開けてくれた。

「わ!?」

 予想外の展開にびっくりして声が出ちゃった。
 だけど、多分わたしが困ってるのを見てあけてくれたんだろうからお礼を言わなくっちゃ。

「あ……どうもありがへぇっ?」

 ……す……すっごい変な声出しちゃった!!

「…ど………け……な……?」

 で、でもドアを開けてくれた人(多分)がプリント全部もってくれたから。なんかもう不測の事態の連続で、さつきブレインパニック中。


「あの……これ、どこまでもって行けばいいのかな?」
「え? あ、わたし持ちますから! 大丈夫です!」
「いや、でも一回休憩はさんだら重いもの持つの大変でしょ? 目的地もすぐそこみたいだし、このまま持っていくよ」
「え、あ、う……じゃあお願いします……」

 その人の顔がなんだか自然すぎて、ついお願いしてしまった。


 あの人……確か遠野くんって言ったっけ?












 そうそう、これが始まりだったっけ。



 同じクラスにいるおとなしいというか目立たないというか、とにかくそんなに存在感がある人じゃなかったけど、このことがきっかけで遠野くんのことを見るようになった。



 よく見てみると遠野くんは不思議な人だった。なんというか、遠野くんは確かにそこにいるのに存在感が薄いというか……
 それは地味とかそういう意味じゃなくて。うまく表現はできないけど……多分「生きてる」って感じが希薄だったんだと思う。




 場面はそこで切り替わる。


 次の舞台は夕暮れの校舎。





「はぁ……はぁ……」

 わたしは青い顔をして廊下を走ってた。確か土曜日で部活も休みだったから家に帰って鞄の中身を取り出してたら教科書が見つからなくて、しかもその教科は宿題が出てたからすごく焦った記憶がある。
 どれだけ鞄を探しても見つからなくて、最後の望みを託して学校に来た。
 高いところにいたお日様は家で教科書を探してるうちにすっかり西日になってしまった。


「もう……教科書なんて普通なくさないよ……」


 涙ぐんで息を切らしながら学校の中を進んで、やっと教室のところまでたどり着いた。

 そして開け放たれてるドアをくぐろうとして教室にいる人影に気づいた。
 気を使う必要なんてないんだけどその人影が遠野くんであることと、そして窓から外を覗き込んでる姿が、そのままどこかに消えてしまうんじゃないかと思わせるほど危うかったこと。この二点がわたしを縛り付けて動くことを許さなかった。気づいたら荒かった息も溜まっていた涙もひいてしまっている。




 ────なんだろう。これ。




 いや、見たままを表現することはできる。遠野くんが窓から外を眺めている、それだけ。
 それだけなんだけど……その姿には現実感がまるで欠けていた。


 夕焼けの当たる角度のせいか遠野くんの肌はすべすべの陶器か何かみたいにきれいだったし、人のいない教室では空気もなんだか寂しくて。
 まるで遠野くんのまわりだけ時間が止まっているか、周りの空間ごと死んでいるみたいで。それがひどく芸術的に見えて、同時にひどく悲しかった。








 そんな終わりの見えなかった凍った時間は、




「……あれ? どうしたの?」



 こちらを振り返った遠野くんの一声で止まった時間も死んだ空間も周りの風景に同化した。



「い、いや……あのね!? 教科書を忘れたと思って……そうだ、教科書!」



 自分で言って思い出し、慌てて机に向かった。

「大丈夫?」

 普通ならちょっと笑っちゃうような感じなのに遠野くんは真剣な顔で聞いてきた。

「うん。多分……あ……あったぁ!」

 机を覗き込んでみればなんのことはなく、教科書はそこに納まっていた。

「……あったみたいだね。よかった」
「うん! その……ありがとう遠野くん!」
「いや、俺は別になにもしてないから……」
「あ……そっか」


 なんでお礼言ってるんだろうわたし。あ、なんか顔が熱くなってきた……


「……じゃあ、俺もそろそろ帰ぶっ!?」
「と、遠野くん!?」


 ガツン、と音がして遠野くんはわたしの方を向いたまま教室から出ようとしてドアに正面からぶつかった。
 そ、そういえばいつもの癖でドア閉めちゃったんだっけ……
 ひょっとして遠野くんが開けてたのかな……じゃなくて。

「遠野くん! その……大丈夫?」
「あ、うん。ちょっとぶつけただけだから」
「でも、メガネ落ちちゃって……」



 と。裸眼の遠野くんと目が合った。



「あ……」

 瞬間、ゾッとした。

 メガネのしたに隠れていた瞳はきれいな蒼色の光を無機質に反射していて早朝の満月を連想させる。
 でも、その眼が向けてくるのは朝の月のような天に引き寄せられるような感覚ではなく、逆にどこか深くて真っ暗な穴の中に突き落とされているかのような、天然の監獄に閉じ込められたような、そんな感じ。



「……と、遠野くん?」
「く……なんでもない。ごめん」


 遠野くんはうろたえるわたしにそれだけ言ってメガネをかけなおすと、もう何も言わずに教室から出て行ってしまった。

 わたしはというと、その眼が忘れられなくて、しばらくそのまま座り込んでいた。








 このときだったかな? 初めて遠野くんが捨てたがって、隠したがってた怖くてもろい部分を見れたのは。
 でも、わたし今になって思うんだ。この日教科書を忘れてよかったって。
 遠野くんのことずっとちゃんと知らないままだったなんて、そっちのほうがよっぽど怖いもん。











 それからたくさん、たくさんの思い出が流れた。
 体育祭で一位をとって意外に運動ができるんだ……なんて関心したこと。シャーペンを拾った時に笑顔を見せてくれたこと。乾君と楽しそうに話していたこと。あ、そうそう。宿題忘れて立たされたなんてこともあったっけ……









 そして、最後に見たのはわたしの部屋。

 ああ……これ遠野くんと一緒に帰った夜だ。窓辺で買ってるサボテンのツトム君にいつもどおり今日の報告。
 だけど、今日はいつもどおりじゃない、大切な報告がある。


「あのね。今日は遠野くんと一緒に帰ったんだよ。今までちゃんと話せなかったけど、すっごくがんばったんだから。そう、一緒に帰れたっていうのは遠野くんがお引越ししてて帰り道が途中まで同じになったんだ。だから、これからずっと一緒に帰れるんだよ? えへへ。これがきっかけでお休みの日に遊びに行こうなんて誘われたらどうしよっか?」


 ツトム君は丸くてかわいい体でわたしの話をうなずきもせずに聞いてくれる。


「そうだ。中学校の時の体育倉庫の話もしたんだよ? でもやっぱりって言うか遠野くんよく覚えてなかったみたい。でもね、そういう飾らないやさしさっていうのかな? そういうのすっごくかっこいいと思うんだ。好きになってよかったな〜、て思っちゃうの」


 誰か人がいたら絶対こんなこと言えないけど、ツトム君には全部報告。でも、ひょっとしたらお母さんには聞かれてるかもしれない。だとしたらちょっと恥ずかしいかも……


「でね? 仲良くなれたらいつか家に呼ぶんだ。おいしいクッキー焼いて、二人で食べて。それで、ツトム君を紹介するの。その……おいしいクッキーはまだ焼けないけど、絶対にうまくなって遠野くんをびっくりさせるの」


 むん、と力コブを作る真似をしたけどわたしにはちょっと足りないみたい。
 それを見たツトム君がちっちゃい体で「がんばれ」って言ってくれてるような気がしてふつふつとやる気が沸いてきた。そうだ、そのうちケーキ作りなんかもやってみよう。
 そして今日も日課を終えて、お日様を体いっぱいに浴びたふかふかの布団の中にもぐりこんだ。












 結局、おいしいクッキーは焼けなかったなぁ……
 あれからお母さん、ちゃんとツトム君に水あげてるのかな……でもお母さんのことだから逆に水あげすぎてるかも。







 そして、場面は切り替わる。



 目の前には遠野君、感情の抜け落ちたような顔からは静かな悲しみと深い後悔だけが読み取れた。


 ……こんなこと、あったっけ?


 ちょっと考えてから思い出して、気づいた。




 ────ああ、これが「今」なんだ────




 抱きしめている遠野くんの体は温かくて、動物の赤ちゃんみたいで。わたしはこの冷たい体がちょっとだけ悲しくなった。

 遠野くんは動かない。でも、その体はちょっとだけ震えていた。




 ────ひょっとして、泣いてるのかな?




 わたしのせいで泣かせたくなくて。大丈夫だよ、って伝えたくて。壁に手をついて立とうとして、ついた手がもとからなかったかのようにさらさらと消えていった。
 そして、同じようにわたしにはもう地面に立つ足がないことに気づいた。


 ……あはは。ダメだね、わたし。もう一人で立てないみたい。
 遠野くんを元気づけることも、できなくなっちゃった。


「ごめん。俺は……無力で、最低だ」


 聞こえてくる声は涙声。

 気休めかもしれないけど。それでも遠野くんに迷惑なんてかけたくなくて。


「泣かないで。遠野くんは、最後にわたしを助けてくれたんだから。……わたしね、こんな風に遠野くんとお話できるなんて思ってなかった。 ────えへへ、それにね? 一番最後に話せる相手が一番好きな人だなんて、結構すごいことだよ? だから、わたしはこの瞬間世界の誰よりも幸せなんだ。だから……わたしを、遠野くんの辛い記憶に置かないで。なんでもない、クラスメートとして遠野くんの中にいることができるなら。それがわたしの最後のお願い」



 遠野くんは何もいわない。でも、多分言いたいことはわかってくれていると思う。わたしの知ってる遠野くんは、どんなピンチも跳ね返しちゃうとっても強い人なんだから。



「じゃあ、バイバイ。わたしの家、こっちだから────」










 普通のわたしを遠野くんの中に残しておきたくて、特別でもなんでもない別れにしたくて。















 二日前と同じさよならをしてから、弓塚さつきは月に散った────










SSをものごっつ久しぶりに書いた気がします。
最近頂き物が続いたのでそろそろ書かないかんかなと。
まあ、そんな感じ。







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