ある週末のこと。
 美樹と二人でゴロ寝しながらテレビを見る。テレビは部屋を明るくして離れて見ましょう。

「あんどっち〜」
「んあ〜……?」

 けだるそうな美樹の声にけだるく答える。

「明日さ〜」
「お〜?」
「家に帰る?」
「……は?」








おうちに帰ろうあんどっち







「お? あ……はい?」

 美樹の腑抜けっぷりと、出てきた情報の重要さに差がありすぎて冷静な反応がとれない。

「いや、だから明日家に帰る? って」
「えっと……はい」

 なぜ敬語になってんだ俺は。

「ん。じゃあ手続きしとくね〜」
「待てい」

 ものすごく自然な流れでいろいろ話を進めているようだが、ここで流されてはいけない。

「説明を要求する」
「前にしなかったっけ?」
「『そのときになったら説明する』みたいなことは言われた気がするぞ」
「あ、そうだったっけ。ん〜とね……」

 かったるいのか、美樹はなんだかやる気なさげだ。幼女のくせに五月病か?

「えっと、下界にもどるのに条件があるんだけど、天界と下界じゃ時間の流れ方が違うのね? 明日は……あんどっちの四十九日が終わったあたりかな?」
「こっちじゃ結構たってるのにな」

 ちなみに、俺が天界に来てから二ヶ月とちょっとってところだ。

「逆に、こっちでは1ヶ月しかたってないのに下界では1年たってる、なんてこともあるけどね」
「……時期を選ばないと自分がいたころに帰れないってことか?」
「そうそう、そんな感じ」

 それで帰るのに条件がいるってわけか。平成の世に降り立つつもりが江戸時代じゃ洒落にならないからな。
 それにしても……家に帰る、か。雪美にパパ成さん、寂しがってるかな?

「適当な時代にいきたいならいつでも帰れるけどね〜」
「真っ平ごめんだ」




「お土産とか、もってかなくていいの?」

 翌日、天界の出入り口で唐突に美樹に言われた。いよいよ帰るって段になってお土産の話をされても遅すぎる。

「あぁ〜、うちの家族そんなの興味ない感じだし、別にかまわないだろ」
「あんどっちって結構薄情だよね……」

 美樹はあんな風に言ってるが、修学旅行のお土産を買って帰ったときに「は? なにこれ?」と言い放った連中だ。文句は言わせん。

「じゃあ、夜になったら迎えに行くから適当に楽しんできて」
「おぅ」

 美樹の言葉を背にうけ、死後初の帰省を──

「あ、忘れてた!」
「おぉう!?」

 すんでのところで踏みとどまる。

「どうした急に!?」
「一つだけ守ってほしいことがあるの」
「何だ?」
「家からは絶対に出ないで。それと、家族の人にもあんどっちが現世に戻れる事は口止めしておくこと。あんまり出歩かれたりすると色々と厄介なことになるから」
「ん……まあそのくらいなら大丈夫だろ」

 確かに死んだ奴がほいほい出歩いてたらパニックになるだろうし、もっともな話だ。それに、そう難しい話でもない。

「オッケー。じゃ、あんどっちの家の玄関に直接つくことになるから」
「了解」

 美樹の言葉を肝に銘じて、今度こそ死後初の帰省を果たすことになった。




「……全然変わってねえでやんの」

 玄関に降り立ってから最初の一言。我ながら緊張感の欠片もない。
 それもそのはず、久しぶりに帰ってくる我が家は白々しいほどなにも変わってなかった。
 まぁ、死んだあとすぐ行われる行事も一通り終わったころだし、当然といえば当然だ。
 派手にパーティーみたいな飾りつけされるよりはマシと考えよう。あの二人ならマジでやりかねないし。
 俺死んだ記念。嫌すぎる。

「とりあえず……ただいま〜……と」

 こういうところ、我ながら几帳面だと思う。
 どことなく、知らない家であるかのような錯覚を覚えながらも靴を脱ぎ家に入っていく。そして(天界時間で)二ヶ月ぶりの我が家のリビングへと踏み込んだ。

「……」
「……」

 ドアを開けた瞬間、ソファーでゴロ寝しながらテレビ見てポテトチップス食ってる雪美と目があった。背もたれごしに俺の方を振り返ったまま固まっている。すげえ堕落っぷりだ。

「…………」
「…………」

 雪美はまったく動かず、俺も全く動けない。雪美にしてみれば死んだはずの兄が目の前にいるわけだから、しょうがないことではあるが。

「……ただいま」

 いつまでも固まってるわけにもいかないので挨拶を交わしてみた。

「……お」
「お?」
「おにぃ〜!!!」
「おぉぉ!?」

 その体勢からどうやればそんな動きができるのか、雪美はソファーの背もたれをひょいっととび越えて奇声をあげながらこちらに走ってきた。

「いぇ〜〜!!」

 そして勢いそのままドロップキックへ。普通なら虚を突かれてまともにもらいそうなものだが、所詮いつものやり取り。その辺りは既に予測済みだ。
 人間弾丸と化した妹を半身で交わしてその足を脇に抱え、キックの勢いを利用して片エビに持っていく。

「ふげっ」

 肺にたまってる酸素がはじき出されてつぶされたような声を出す雪美。

「いきなり何してくれてやがる……」

 ぎりぎりと締め上げながらプチ拷問が展開される。

「お、おにぃ……痛いよ。離してよ……」

 とたんに涙声になる雪美。それが芝居であることもお見通しだ。

「ふざけろ。ここで離したらお前反撃に出るだろ」

 前に一度、開放した直後に喉に手刀を叩き込まれたことがある。

「う……」
「…………」

 言葉に詰まったようなのでさらに力をいれて言葉を促してみた。

「……ぎ、ギブ! おにぃ、ギブギブ! 極まってる、がっちり極まって抜けれないから! それはもう麻薬のように! 薬物、かっこ悪い!」

 正体現しやがった。

「反撃しないか?」
「しない、しないってば!」
「もし反撃したら今度は折るからな?」
「あん♪ おにぃ……激しいのが好きなのね……」
「……」

 強めに締め上げてやった。雪美の足の筋がみしみしと悲鳴をあげる。

「い、いだだだだ! ごめん! おにぃ、ごめん! 反撃なんてしないから勘弁してください!」
「よろしい」

 そこでようやく固めた足を解いてやる。

「……こわぁ。死ぬかと思ったよ。鬼、あんた鬼の子だよ」
「じゃあ妹のお前も鬼の子だな。で、パパ成さんが鬼か」
「おにぃってそういうところ容赦ないよね……」
「ほっとけ」

 雪美の非難がましい視線を軽く受け流す。と、今度はまじまじと俺の方を見つめてきた。

「……どうしたよ?」
「ほんとにおにぃかな〜って……」
「お前はどこの誰とも知れん奴に人間ミサイル叩き込んだのか」
「いや、だって普通に考えておかしくない? 泥棒さんなら撃退しても問題ないし」
「まぁ、無理もないけどな」
「……生霊?」
「それは生きてるやつの怨念とか呪いだ」

 なぜ霊の中でも一番ありえないものを選ぶのか。いや、今の状況が実際ありえないからなんとも言えないけど。

「……笑わないか?」
「何が?」
「いや、俺がどういう状況にあるかって話」
「今の状況がすでにギャグみたいなものだから多分大丈夫だと思う」
「お前もいうようになったな……」

 悪気がないだけ摩波よりはマシか。

「……俺、電車にはねられただろ?」
「はねられたね」
「……」

 すげえあっさりしてやがるなこいつ。

「どうしたのおにぃ?」
「いや、なんでもない。……でだな」

 どっから説明したものか……
 うわ。これ、どこから話すにしても恥ずかしいことこの上ないな。

「て、天使見習いが俺のところ来てだな。天界とやらに連れて行かれてな……」
「うんうん」
「で、成り行きで俺も天使を目指すことになって、時間軸の関係で今日帰ってこれることになった、と……そんな感じ、かな……」
「へ〜……」

 雪美は意外とまじめに聞いてくれる。話しながら自分の精神状態のまともさを疑いたくなったが、どうにかこうにか切り抜けられたよう──

「ねぇ、おにぃ」
「ん?」
「……バカ?」
「よーしいい度胸だ、腕を出せ。せめてもの情けだ。利き腕は折らずに許してやる」

 言いながらゆっくりと雪美の左腕をとる。

「ちょ、だっておにぃ! それは信じろって言うほうが無理でしょ!?」
「俺だってギャグですませたいけど実話だからしょうがねえだろ!」
「わ、わかった! 信じる、信じるから離してよおにぃ! 目が据わってるから! それはもうコンビニ前のヤンキーのように! 虚弱体質、かっこ悪い!」
「ヤンキーは別に身体が弱いから座りこんでるんじゃねえよ」

 あと座ると据わるじゃ使いどころが違う。が、真剣に焦ってるのでそこは言及せずに手を離す。いや、もともと折る気はなかったけど。

「こわぁ……おにぃ、荒んだ生活送ってるの? ちょっと凶暴になってるよ……」
「荒んだ生活を送ってるのだよおにぃは」

 武神幼女とか性悪双子とか爆眠巨人とかハイレベルストーカーとか。あ、思い出したらなんか涙でてきた。

「お、おにぃ? どうしたの?」
「いや、なんか客観的に今の自分の生活振り返ってみたらすげえなぁって……」
「大変なんだ」
「まぁな……」

 ふ〜ん、と適当に答えた雪美だったが、いきなりまじめな顔で俺に向き直った。

「で? おにぃはこれからまた家で暮らせるの?」
「む……」

 答えづらい質問だな……

「……んにゃ。残念ながら今日だけだ」
「へぇ……」

 何気なく相槌を打つその表情は、少しだけ暗いものになる。

「そういう顔するなって。ずっとここにいるのは無理ってだけの話だし、また帰ってくるさ。元々死んでるんだからな。こうして帰ってこれるだけ僥倖だろ」

 場つなぎというわけでもないが、できる限りのフォローをいれてみた。

「ん……じゃあ、いいかな。とりあえずだけど。これから先ずっと会えないってわけでもないんだしね」

 俺の返事を聞いて安心したのか、元通り、とまではいかないが雪美の顔にいくらか明るさがもどった。


「ところで雪美」
「なに?」

 二人でゴロ寝しながらテレビを見る。あれ? これ、天界での生活となんら変わらなくねえ?

「パパ成さんは?」
「晩御飯の材料買出しに行ってる」
「そっか」
「おにぃ、パパ成さんにまで手を出そうだなんて……あたしの身体じゃ満足できないのね……」
「お前、足は左利きだったっけ?」
「ごめん」

 こいつ、ちょっと知らないうちに変な芸風身に着けてやがる。

「あ、そういえばおにぃ」
「んあ?」
「遺影見る?」
「またすげえこと言うのなお前」
「いや、見たくないなら別にいいけどね」
「ん〜……」

 別に自分の遺影なんかには興味ないけど、見るのもイヤってほどでもないし、やることないしな。

「どこにおいてんだ?」
「仏間」
「それがわかんねえから聞いてんだろ」

 俺が死ぬ何年も前、母親は雪美を産んでまもなく死んだ。だが、家には母の仏壇がない。「子供のうちからそんな根暗なもん拝んでどうするつもりだバカ」というパパ成さんの方針にそってのことである。薄情な男だ。

「えっとね。廊下に出て左に行って、突き当りの和室」
「了解」
「……」

 部屋を出ようとする俺に、雪美が訝しげな視線を投げかけてくる。

「……どうかしたか?」
「いや、おにぃのその堅苦しい返事。直す気ないのかなぁって」
「ほっとけ」
「ま、おにぃの勝手だからどうでもいいけどね〜」

 雪美は心底どうでもよさそうな声でそうつぶやくと、ねっころがった身体を起こし俺の後ろについてきた。

「何だ?」
「あたしも仏間に行くの」
「……なぜに?」
「おにぃが帰ってきたことをおにぃに報告」
「わけわからないぞそれ」
「いいじゃんさ。ね、いこいこ」

 そういうと雪美は俺の背中をぐいぐいと押しはじめた。

「ちょ……わかったから押すな」
「はーい」

 そうして押すのをやめ、再び俺の後ろにはりつく雪美。
 こいつの性格は、いまだによくわからない部分があったりする。



「おにぃ。今日はね、おにぃが家に帰ってきたよ……ゾンビだね、ゾンビおにぃ。エクソシスト呼ばなきゃ……」
「おい」
「なに?」
「なに? じゃねえよ。巨大なツッコミどころが二箇所あってどっちからつっこんだものか迷ってんだよ」

 ひとつは言うまでもなく今の雪美の報告。俺が聞いてることを前提にした嫌がらせ以外のなにものでもない。しかも両手を合わせてしみじみといってくれやがって。
 そして、もう一つは。

「なんだこの遺影は」
「何って、おにぃの写真だよ?」
「普通落書きだらけの写真を遺影とは言わん」
「遺影と言えい」
「眉毛と口ひげ、泥棒ルック……うわ、これしかも油性ペンじゃねえか」
「あ、おにぃがボケを無視した」
「ボケ以前の駄洒落なんざつっこむ気にもならねえよ」

 しかしこの不謹慎な悪戯、雪美一人の仕業じゃないだろう。証拠が残ったりするいたずらはやらないからな、こいつは。
 ということは……

「パパのお帰りだぞ〜」

 ちょうどそのとき、玄関の方から間延びした声が響いてきた。

「あ、帰ってきた」
「ああ、帰ってきたな」

 元凶が。
 そして、玄関の方から声が続く。

「雪美〜、どこだ〜?」
「仏間〜」

 間延びした声に間延びした声で雪美が返事を返す。

「だるいペースで会話してるなお前達……」

 パパ成さんが絡むと雪美は会話のテンポが遅くなる傾向がある。
 ちょっとの間廊下を歩く足音がしてから、ふすまがスパーン、と小気味いい音を立ててあけられる。

「…………」
「…………」

 雪美の時同様、俺と目が合ったパパ成さんの動きが止まる。

「……ただいま」

 これまた雪美と同じように、とりあえず俺から挨拶の交換を試みる。

「……た」
「た?」
「タカチィぃぃぃ!」
「リアクション一緒じゃねえか!」

 飛び掛ってくる寸前にラリアットで畳という名のマットに沈めてやった。試合開始1秒、安藤隆KO勝ち。グレイト。

「う、腕をあげたな……」
「反応が同じだったからな。バリエーションを増やして出直して来い」

 雪美との違いをあえてあげるとすれば、普段パパ成さんは俺のことをタカチィなどと呼ない、ということくらいだろうか。
 あぁ。こんな違い、心底どうでもいい。

「もはや教えることは何もない……ぐふっ」
「もっと他に教えておくべきことはなかったのか……」
「雪美、なんで隆がここにいるんだ?」

 何事もなかったかのように立ち上がったかと思いきや、すげえマイペースに話の流れを修正しやがった。

「天使になるんだってさ」
「……俺の息子はアホなのか?」
「説明するのも嫌過ぎる事情があるが、残念ながら真実だ。受け止めてくれ」

 っていうか、全く俺がここにいる理由の説明になってないし。

「まぁ、今日はサービスデーみたいなもので帰ってきたってところ。夜にまた帰るけど」
「ああ、そういえば今日はスーパーでも肉が特売の日だったしな」
「あんたにとって息子はスーパーの肉と同じ価値ですか?」
「晩飯の材料買ってきたけど、パスタとカレーパンマン、どっちが食いたい?」
「ちょっとでいいから、話に脈絡をもってくれ。それから、カレーパンマンは食い物じゃない」
「じゃ、パスタだな」

 選択肢ねえじゃねえか。自由すぎるぞこの男。

「あ。あたしナポリタンがいい」
「残念ながら買ってきたのはペペロンチーノの材料だ」
「じゃあペペロンチーノが食べたい」
「任せとけ」
「……」

 こいつらの会話がおかしいと感じた俺の頭がおかしいのだろうか? 少なくとも、この家では少数派であるらしい。
 それと、肉の特売日なら肉買って来い。

「隆が帰ってきたならスルメもあったほうがいいな……隆、自分で買ってくるか?」

 パパ成さんが俺の方に向き直る。

「あ、そうだね。おにぃこっち久しぶりでしょ? 散歩がてらいっといでよ。あたし達で夕飯の支度してるから」
「いや、そうしたいのはやまやまなんだけど、俺を拾った天使見習いから家から出るなって言われてるんだ。死んだ奴が外をぷらぷら歩きまわるわけにもいかないだろ?」
「あ、そっかぁ」

 雪美が感嘆の声を上げる。口には出さないがパパ成さんも同意見のようだ。

「しょうがねえ、じゃあまた俺が行ってくるか……お前ら二人で晩飯作ってろ。兄妹ラブラブクッキングだ」
「今日のラブラブ指数の上限は?」
「230%ってとこだな」
「はーい」

 なんだこの会話?

「あんたら二人とも一回医者に頭診てもらえ」
「ゾンビは黙って麺でも湯がいてろ」
「く……!」

 そう告げると、非情な男は善は急げと言わんばかりに仏間を出て、帰ってきたときの逆再生をするように外に出て行った。

「じゃ、台所いこっか」
「あぁ……」
「……おにぃ?」
「あ? あぁ、気にすんな。ちょっと疲れただけだ」
「? ま、いいや」

 久しぶり帰省で、いきなりパパ成さんと雪美を同時に相手にするのは思った以上に体力が必要だった。




「しっかしあれだよな」

 麺の茹で具合を確かめながら雪美に話しかける。ちなみに、うちの家族はグルメではないので芯が残らなくなるまで茹で上げる。

「ん〜?」

 雪美は付け合せのサラダに入れるキャベツやきゅうりを切っている。

「お前もパパ成さんも、俺が帰ってきたこと自体には驚かないのな」
「びっくりしてるよ?」
「俺にはいつもと変わらないように見えるけどな」
「あたしもパパ成さんもあんまり感情が顔にでないタイプだからかな?」
「……そういやそうだよな」

 表情が乏しい、というわけではないが雪美もパパ成さんもリアクションはさほど大きくない。自分から何か仕掛けてくるときはうざいくらいテンションが高いが。

「おにぃはあたし達の分を補ってあまりあるくらい顔にでるよね」
「……マジですか?」
「マジです」

 俺のクールなキャラが台無しじゃねえか……

「おにぃは全然クールじゃないよ。むしろ熱血系?」
「……顔に出てた?」
「『俺クールキャラなのに』って顔してた」
「知らないうちにすごい十字架背負ってたのか俺……」
「まぁ、あたしやパパ成さんはずっとおにぃのこと見てるからね。なに考えてるか顔見れば大体わかるよ。洞察力のある人ならすぐにわかっちゃうかもしれないね」
「あ〜、心当たりあるわ」

 なんで美樹が俺の心を読めてたのかちょっとわかったような気がする。恵とかもそのうち読みだしそうだな。愛が怖い。



「パパのお帰りだぞ〜。スルメとりにこい愚息」

 本日二度目の間延びした声が玄関から響いてくる。

「ぐそくって何?」

 隣で雪美が首を傾げている。

「知らんでいい。不本意だが俺のことだきっと」
「へ〜」

 キャベツときゅうり、ハムを盛り付けて、トマトを切っている雪美を台所に残して玄関までパパ成さんを迎えに行く。

「おわぁぁぁ!?」
「いちいちでかい声出すな。ご近所にとうとう安藤さんちのダンディーさんが狂ったとか言われるだろ」
「十分狂ってんだろ! なんて量買ってきてくれてんだ!」

 スーパーの袋(大)には、ぎゅうぎゅうにスルメが詰め込まれていた。
 店の人もさぞかし驚いただろう。なんせ一度買い物にきた客がもう一度来てスルメを買占めに来たのだ。俺が店員ならまず間違いなく顔を覚える。自称ダンディーさんは今日をもってスルメの人に格下げだ。

「お前が好きだったやつをあるだけ買ってきてやったぞ。泣いて喜べ」
「んなもん一人で食えるか!」
「いいよ、余った分は俺と雪美で食うから」

 それはそれで切ないな……

「あん? どうしたぼさーっとして? 痴呆か?」
「ちげえよ」
「心配すんな、俺もこれ好きだからな。お前が一つも食わなくてもなんら問題ねえよ。むしろ残せ」

 かったるそうに言葉を紡ぐパパ成さん。ちなみに俺はパパ成さんがスルメ好きだという話は聞いたことがない。

「ま、せっかく買ってくれたんだし好意に甘えようかな……っと、そろそろ麺も茹で上がるな」
「あ〜、待て待て。お前はこれもってリビング行ってろ」
「は?」

 台所に戻ろうとした俺にパパ成さんが声をかける。

「リビングって……まだ途中だぞ? やることないし、手伝いがあったほうが雪美も楽じゃあ?」
「今日のお前は客だ。リビングでテレビでも見ながら顎が外れるまでスルメ噛んでろ」
「とても客に対する言葉遣いとは思えないな……」
「細かいことは気にすんな。大体、お前と雪美じゃラブラブ指数もあがらねえだろ」
「だからそのラブラブ指数が意味不明だっつうんだよ」

 少なくとも味にも影響しないことだけはわかっているが。

「まあ、せっかくのゾンビ帰郷なんだから今日くらい俺を立てろよ」
「……わかったよ」
「物分りがよくて助かる。それでこそ俺の息子だ。アホだけどな」
「余計なこと言わなけりゃいい話なんだけどな」

 そしてパパ成さんからスルメを受け取り、リビングへ向かう。といっても、うちはダイニングキッチンになっているのでリビングと台所が直接つながってる。結果として二人でリビングに入ることになるわけだが。
 パパ成さんは台所へ、続いて俺はソファーヘと向かう。

「おかえり〜」
「ただいま。選手交代だ。ヘタレコックに代わって熟練のパパ成さんの登場だ」
「サラダはできたよ〜」
「お、でかしたぞ雪美。あとは俺に任せてゾンビとスルメ食ってていいぞ」
「はーい」

 すげえ言われようだな。雪美も雪美で納得してるし。ってちょっと待て。

「パパ成さん、一人でやるのか?」
「文句あっか」
「ラブラブ指数はどこ行った」
「自愛の精神だ」

 ナルシストじゃねえか。
 心の中でうそぶいたところでその声が本人に届くわけもなく、パパ成さんはキッチンへ向かい、入れ替わりで雪美が出てきて俺の隣に腰掛ける。

「いらっしゃい。また来てくれたのね……今日は何にする?」
「スルメ」
「色気な……って、何この量!?」

 案の定雪美もその異常なスルメに面食らってる。

「育ちざかりの子供が二人もいればそのくらいすぐだろ」
「俺死んでるから育ち盛りも何もないんだけど」
「つべこべぬかさんと黙って食え偏食児童どもが」
「んなこといったって、この量を食おうと思ったらそれだけで腹いっぱいに……」

 言いかけて、雪美にシャツを引っ張られる。

「おにぃ、ちょっと……」
「ん?」

 パパ成さんに聞こえないように雪美が耳打ちしてくる。

「なんだかんだ言って、パパ成さんも嬉しいんだよ。まさかおにぃが帰ってくるなんて思わないじゃんさ。普段ならこんな頭の悪い量買ってこないよ?」
「いや、そりゃそうだけど……パパ成さんだぞ?」

 あの薄情男がそんな殊勝な考えもってるのか?

「だーかーら、あれはあれで喜んでるんだって。私もそうだけど、ホントに純粋に嬉しいんだって」
「雪美ー。聞こえてんぞー」

 キッチンからパパ成さんの声が飛んでくる。どんな聴力してんだあの人。

「えー? なにがー?」

 雪美は雪美でしらばっくれる。が、本人も本気で隠しとおせてるとは思ってないだろう。

「ちっ……ま、どうでもいいけどな。もう出来るから取り皿並べてろ」

 台所から完成を告げる声が届く。

「はやっ。まだスルメに手ぇつけてないし」
「たらたらしてるからだろ。晩飯の食いすぎでスルメが食えないとか泣きつかれても俺は知らんぞ」
「誰がそんなことで泣くか」

 こうして運ばれてきた夕食は、俺が生きてるときとなんら変わらない夕食で。その味も、交わす雑談も、俺が生きてるときとなんら変わらない、いつもの夕食だった。




 食事を終え、食器も片付け全員が風呂に入ってから三人でリビングのテーブルを囲む。

「……」「……」「……」

 三人が三人とも何も言わない。というか、このテーブルの上のモンスターどもを前に何を言えというのか。

「……第一回」

 パパ成さんがその重苦しい沈黙を破る。

「するめを食べよう会ーーー!!!」
「食べよう会〜……」

 雪美もなんとか場を盛り上げようとしているのだろうが、悲しいかな最後の方は声が聞き取れなかった。まぁ、パパ成さんからしてテーブル見て「やっちまった」的な表情を浮かべてたし、テンションに無理がありすぎた。

「だから多すぎるって……」
「し、しょうがねえだろ! 黙って貪り食え!」
「おにぃ、スルメ好きだったよね?」
「今日一日で嫌いになるかもしれないけどな」
「酒はある。気にすんな」
「関係ねえよ」

 おつまみか。おつまみだから大丈夫といいたいのかこの自愛者は。

「じゃあ大丈夫だね、おにぃ!」
「お前の頭よりはな」

 まじで病院紹介したろか。

「いいからグラスを手にとれ雪美、イカ朗」
「今イカ朗っつったか?」

 せめて本名をどこかにはさまんかい。

「イカ朗おにぃはカシスオレンジ?」
「モスコミュールを頼む、イカ美」
「待てやコラ。お前妹に向かってなんて呼び方をつかってやがる」
「あんたは息子に向かってなんて呼び方つかってくれてんだ」
「かんぱーい」
「無視しやがった!」

 マイペースに乾杯の音頭をとった雪美に、俺とパパ成さんの声が見事なユニゾンを披露する。やばい、雪美がこの中で一番大人かもしれない。

「……って、誰がイカ美よ! おにぃひどい! あたかもダンゴ虫を丸めて投げる子供のように! 無邪気な悪意、かっこ悪い!」
「パパ成さん。こいつ、いつの間にノリツッコミなんて身につけたんだ?」
「ちげぇよ。単純に反応が遅れただけだろ」

 じゃあアレか。俺とパパ成さんの見事なユニゾンは無意味だったのか。ユニ損か。
 あ、これうまいかもしれない。

「おにぃ? なにニヤニヤしてるの?」
「どうせユニゾンとユニ損がかかってうまいとか思ってんだろ。このどさぶいキングは」
「ぐれるぞマジで」

 真実だけに否定できやしねえ。

「そういえばパパ成さん」
「あん?」
「雪美って酒飲めるようになったんだ?」

 俺の記憶では、中一の時にパパ成さんが冗談で飲ませた一口でぶっ倒れてたはずだが。
 まさか俺が死んでグレたとか……

「雪美、お前酒は克服したのか?」

 雪美に確認をとる。

「あふぅ?」
「はえぇな!」

 案の定一口目で酔っ払ってやがった。

「……おにぃ! いつの間に分身の術なんてコミカルな術を!?」
「寝かせてくるわ」

 早くも自分の世界にトリップした雪美をパパ成さんが背負ってリビングを出て行く。
 と思ったら、足を止めてこっちに振り返った。

「……どうした?」
「なんならお前連れて行くか? 合法的に妹の胸の感触を味わいたい放題だぞ」
「いらんわ!」
「最近雪美も成長してきてなぁ……」
「捕まるぞ、まじで」

 なにしみじみと怖いこといってんだこの犯罪者。

「おかしいな、最近の若者っていうのはみんな妹好きじゃないのか……」

 豪快に間違った知識を吐露しながら部屋から出て行く。どこで仕入れたんだあの情報。

「あんどっち。久しぶりの実家はどう? 楽しんでる?」

 一人になったリビングで横から美樹に声をかけられた。

「ん? おぉ、俺が予想していたよりもはるかに家族が変わってなくて泣けてき……」

 待てい。

「てめえどっから沸いてきやがった!」

 息をするような自然さで話しかけてきたので危うくながしてしまうところだった。

「沸いてきたって……ひどいよ、あんどっちを迎えにきたのに……」
「げ、もうそんな時間なのか?」
「もうちょっと大丈夫だけど……ほら、忘れないうちに」
「頼むからそんな重要なこと忘れないでくれ」

 そんなことになったら天界に帰れなくなって……
 待て、帰れなくてなにか不都合があるのか?

「なあ美樹」
「ん?」
「天界に帰らないとどうなるんだ?」
「霧散してばーん」
「絶対帰らなきゃな」

 洒落になってねえ。
 その時、雪美を寝かせてきたパパ成さんがリビングに戻ってきた。

「……」

 そして、美樹を見つけて当然のごとく動きが止まる。

「あ、こんにちは……じゃなくてこんばんはだね。天使見習いの矢田美樹ともうします」
「……あ、ダメだ。隆が二人に見える。俺、いつのまにこんなに酒弱くなったんだ……?」
「見間違えようがねえだろ!」

 いくら何でもわざとかと思いたくなってくる。天然なのが悔しい。

「私自己紹介したのにあんどっちに間違えられるなんて……」

 すごい理不尽な扱われ方をした美樹がへこんでいる。
 あれ、俺いまさりげなくひどいこと言われた?

「冗談だ。本気にすんな」
「限りなく本気くさいんですけど」

 あれだけ演技達者なパパ成さんは見たことがない。

「で、その矢田美樹さんは何しにきたんだ?」
「あんどっち……じゃないや、隆君を迎えに……」
「お前あんどっちとか呼ばれてんのか? ぷすっ」
「うわ、傷ついた」

 ぷすって。わざとらしさ全開な笑い方しやがった。

「えっと……美樹ちゃんだっけか? ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なんですか?」
「隆をこのまま家においとくことはできないのか?」
「できません」
「即答か……おいとくとどうなるんだ?」
「霧散するんだと」

 今しがた美樹に聞いた説明で答える。

「そうですね……もう聞いてるかもしれないですけど、天界とこちらで人体を構成する要素が違うんです。ですから、こちらに適応できるように元素とかそういうのを変換してるわけなんですけど、その効果が切れると幽霊状態に巻き戻りってわけです。いや、反動で存在そのものが消滅しますね」
「なるほどな……」

 そうしてパパ成さんは少し考える様子を見せてから俺のほうへと振り向いた。

「おい隆」
「ん?」
「一花咲かせてみようぜ」
「あんたほんとに親か?」

 どうやら息子が霧散するところを見てみたいらしい。どれだけサディスティックな趣味もってんだこの親父は。

「ま、冗談だけどな」

 冗談だといいんだけどな。

「まぁ、そういうわけだから。また来るよ」
「……おい隆」
「ん? 急に改まってどうした?」

 感情が表情に出にくいパパ成さんが、一瞬だけ寂しそうな顔をしてからゆっくりと口を開いた。


「てめえがその天界とやらでどんな家を持とうが、どんな生活をしてようが、ここはてめえの家で、てめえの帰りを待ってるやつがいるってのはよく覚えとけ。忘れたらしばくからな」


 そんなこと。

「言われなくてもわかってるって」

 家族なんだから。っていうのはやめておいた。美樹に気を使って……というわけじゃなく恥ずかしかったからってだけなんだけど。

「じゃあ美樹ちゃん、今度は友達も連れてきてくれな。こいつのガキの時代のアルバム見せてやる」

 何事もなかったかのようにそう言いながら、パパ成さんは俺の頭をわしわしと撫でた。

「ごめん。写真も撫でるのも恥ずかしいからやめてくれ」
「はい、今度みんなでお邪魔しますね」
「お前も同意すんな」
「相変わらず器のちいさい男だな……」
「ありがとうございます、壊れた器のお父さん」
「あんどっち、そろそろほんとに時間ないよ」
「お? おぉ、わかった」

 最後に挨拶を残しておこうと思い、パパ成さんの方を見てみた。

「あ? 何みてんだ気持ち悪い」
「身も蓋もないッス」

 ちょっと泣けた。

「まぁ、アホみたいにあるスルメも残しといてやるからいつでも帰って来い」
「いや、無理しなくていいよ」
「アホいえ。俺と雪美がこんなにスルメ食うか。責任とってお前食え」
「俺のせいですか? 俺の責任なんですか?」
「がんばれあんどっち」
「なんかいろんな要因が重なって脱力感でいっぱいだよ……」

 美樹の応援はある意味才能だと思う。

「おい、日付が変わるぞ。そろそろ帰れ」
「りょーかい……また来るわ」

 いい話っぽく終わりそうな予感だったのに、台無しだ。
 こうして、しんみりするでもなく、俺の最初の里帰りはぐだぐだな空気のなか終わったのだった。




「あんどっち」

 天界に帰る途中、美樹が何気ないといった感じで声をかけてきた。

「ん?」
「……楽しかった?」
「まぁな。でもまぁ……雪美もパパ成さんも元気有り余ってる感じだったし、すげえ疲れたから一ヶ月くらいは帰らなくてもいいかな……」
「ふ〜ん……」
「どうしたんだ? 急にそんなこと聞いて」
「別に? なんとなく聞いてみただけだよ」
「そうか……」

 そして再び沈黙が落ちる。

「そうだ。美樹、ひとついいか?」

 確認というか懇願というか、一つだけ言っておきたいことがあった。

「なに?」
「恵と宮崎姉妹は……連れてくのやめねえ?」

 特に恵なんて連れて行った日にはどんな暴走を見せてくれるか想像もつかない。

「却下」

 そんな俺の心のうちを知ってか知らずか、美樹は満面の笑みで即答してくれた。

「せっかく友達を連れてきなさいって言われたんだからみんな連れて行かなきゃ不公平だよ」

 うん。まぁ、なんとなくそういうことを言われるような気はしてたけど。

「じゃあさ、次に帰ってこれる日は?」

 反論する気にもならなかったので質問の内容を変えてみる。
 すると美樹は少し考えたあと、こう答えた。

「あさってかな」
「早すぎだ」
「どうする? また帰る?」

 さっきの俺の発言があったせいだろう、今度は美樹から尋ねてきた。

「ん〜……」

 俺は美樹のように少し考えたあと。










「……パスで」

 先ほどの美樹の笑顔とは対照的に、心底つかれきった顔で答えたのだった。







戻る

SEO [PR] おまとめローン 冷え性対策 坂本龍馬 動画掲示板 レンタルサーバー SEO