「摩波のやつ、何やってるんだろうな」 「もう一ヶ月くらいになるね……」 休み時間、教室の一角でそんなことを美樹と話す。理由は知らないが、ここしばらく摩波が学校に来ていないのだ。穂波に聞いても「部屋に篭っていて何をやってるか私も知りません」というばかりで摩波の近況はさっぱりわからない。 「摩波っていうのがまた怖いな。ミサイルでも作ってんのか?」 「まーやん、そんな物騒なものつくらないと思うよ……」 「冗談だって。たまには俺にもボケさせてくれ」 にしては、ずいぶん控えめなボケだと思うが。あ、自分でつっこんじまった。そもそも摩波の場合ボケになってない可能性すらあるのでどっちにしろボケとしては落第なんだけど。 ……何この悲しい自己分析。 「……トイレにでも行ってくるわ……」 「え? あ、うん。いってらっしゃい」 なんだか腑に落ちないといった感じの美樹を残して教室をでる。と、トイレに向かう途中に見知った後姿を見かける。 あのやろう、ぜんぜん学校にきてなかったくせに悪びれもせずに普通にきてやがる。 「おいこら摩波。こんな微妙な時間に何してんだこのさぼり魔が」 ちなみに俺が最初に学校に来た日は髪の色くらいしか相違点がなかった宮崎姉妹であるが、どうもそれ自体が俺に対する嫌がらせだったらしく、次の日からは普通に見分けられるように穂波は左で、摩波は右でそれぞれ髪をまとめていた。 そして、髪を右でとめているほうの性悪妹はゆっくりとこちらに振り向くと、向けられた俺のほうが気後れするほど無垢な笑みを浮かべてこう言った。 「ごきげんよう、安藤様。ご機嫌いかがですか?」 …………うわぁ………… 宮崎姉妹、第三因子 「誰だ貴様」 「誰って……わたくしのことでしょうか?」 「お前以外に誰がいるんだ」 その行為自体かなり無理があるが、摩波はしらばっくれている。いや、もしかしたら穂波かもしれないが、どっちの擬態にしろろくなものではないことだけは確かだ。 「あ、あはは。そうですよね。えっとですね、わたくしはマス……宮崎摩波ですよ」 「おっけー穂波ちゃん。教室戻って美樹にでこ晒して中指ではじいてもらえ」 邪気が感じられない宮崎姉妹などありえないが、穂波なら業を使えば不可能というほどのことでもないだろう。 「矢田様のところへいっておでこを出せばいいんですね?」 「うぉぉぉぉい! 待てい! 死ぬ気か!?」 自分で言っておきながらなんだが、まさかこんな反応が返ってくるなどとは想像もしていなかったので、教室へ向かおうとする穂波(?)を慌てて静止してしまった。 「はい……?」 彼女は行けと言ったり待てと言ったり矛盾しまくっている俺の言動が理解不能なのだろう、首をかしげて立ち尽くしている。 待て、待て待て。本気で誰だこのチャレンジャーは。この自殺志願っぷりは穂波ですらありえねえぞ。 「あれ? 安藤さん、何してるんですか?」 そのとき、謎の宮崎の後ろから穂波が近寄ってきた。 「うわ、ややこしくなりやがった……」 「どういう意味ですか……」 あからさまに歓迎されてない空気を感じ取った穂波がじっとりとした目で俺を見てくる。とりあえずここに穂波がいるということはこの女は摩波で間違いないのだろう。 ……間違いないのか? 「なあ穂波」 「なんですか?」 「摩波は何に頭をぶつけたんだ?」 こいつが摩波だというのならなんらかのショックを受けたとしか考えられない。個人的にはスクーターに頭から正面衝突したとかその辺が正解に近いと思うのだが。 穂波は俺と摩波を交互に見て、それからちょっと考え込んでから口を開いた。 「摩波ちゃんはいつもこんなですよ?」 「誰が騙されるかそんなもん」 無茶するにもほどがあるぞ。しかし、穂波は俺の目を覗き込んで繰り返しつぶやく。 「いやいや、こんなですよ。よ〜く思い出してください。よ〜く……」 「何回思い出しても騙されな……あれ?」 ちょっと待てよ? 摩波ってもともとこんなかんじだったっけ……? 言われてみればそんな気も…… 「納得できました?」 「ん? あ、あぁ。なんとなくオッケーな気がする」 でもなんだろう、この微妙に納得のいってない感じ。まぁ、多分気のせいだろうが。 「じゃあ行くわよ摩波ちゃん」 「はい、穂波さん」 「もう、摩波ちゃんったら。穂波さんじゃなくておねーちゃんでしょっ」 「あ、ごめんなさい。おねーちゃん」 うん、とてもほほえましい光景だ。 そんな姉妹の心温まるやりとりを見届けてから俺も教室へともどった。 「ってことはこの子は……すごいねー」 「はい、摩波ちゃん神童なんて呼ばれ……」 教室に戻ると美樹と穂波、それから摩波が談笑していた。 「うぃーっす」 「あ、安藤様。どうぞこちらへおかけください」 わざわざ会話に入りやすい位置に椅子を用意してくれる摩波。それでいて自分はそばに立って聞き役に徹しているところなど、粋にもほどがある。 「いや、いいよ。摩波が座れ。俺も適当に椅子もってくるから」 「いえいえ、それなら安藤様にここに腰掛けていただいてからわたくしも椅子を持ってまいりますので。どうぞ遠慮なさらないでください」 ……健気だ…… そんな摩波の健気さに全員が心を癒されたそのとき、後ろの壁の方からものすごい妖気を感じた。「なんですの……なんなんですのあの女……妬ましいですわ……たか様にああも馴れ馴れしく近づきよってからに……」とか出だしは丁寧だった口調がすげえ勢いで汚くなっていったが、怖いのでスルーしてみることにした。 「妬ましや妬ましや……あの女どうしてくれよう……いっそさくっと殺って……いや、むしろたか様を殺してウチも死ぬとか……やっぱりこれが愛する二人の究極の愛情表げ」 「おーい恵ー! そんなとこにいないでお前もこっちこいよー!」 最後までスルーに徹するつもりだったが、独り言が帯びる邪気がやばい量になってた上にベクトルが俺に向いてたのでスルーできませんでした。 「…………」 「お……?」 すぐに奇声を上げながらこちらに走りよってくると思いきや恵はただその場でぷるぷると震えるだけだった。 ……手遅れか? 俺死んだか? 「──ま」 「あん?」 「た・か・さ・まー!」 きらきらとしたバッグを背に目に涙を浮かべながら女の子走りでこちらに近づいてくる恵。その様は恋人との再会に感動する少女そのものだったが。 「ナイフしまえボケぇぇぇぇ!!」 両手に携えたナイフ(サバイバル)がかわいらしい少女漫画の世界を一瞬にして恐怖と恐慌、血飛沫と暴力が支配するホラーの世界に染め上げている。 まさかあんな鉄屑二つにそこまでの破壊力があろうとは。人間は偉大だ。 「あ、いっけない。ウチちょっと失敗しました」 てへっとかわいらしく舌を出しながらナイフをしまい別の凶器を取り出す恵。 「何だそののこぎりを一回転させたら完成しましたよ、といわんばかりの鈍器は。禍々しさ跳ね上げてんじゃねえよ」 笑顔と凶器の夢の競演。恐ろしいにもほどがある。 その場にいる全員が恐ろしさで身動きできない中、摩波が立ち上がり恵へと近づいていく。 「あの、亜木様……さしでがましいようですが暴力を振るわれるのはいかがかと思われます……」 すげえチャレンジャーがいやがる…… 少なくとも俺と穂波と美樹は恵の笑顔の後ろに「誰かいねがー」とのたまう無差別殺人を敢行する気満々のナマハゲが見えているのだが、果たしてそれが摩波に見えているかどうか。 だが、嬉々として血飛沫祭りを開催すると思われたナマハゲを背負ったジェイソンくのいちは、ふっと顔から力を抜くと、摩波に向かって握手をするように右手を差し出した。 態度の豹変振りが逆に不気味だ。 「ごめんなさい。ウチ、ちょっとはしゃぎすぎたみたいですね」 笑顔でそういった恵に安心しきったのか、摩波も「いえ、私のほうこそ」と言いながら申し訳なさそうにしていた表情を笑顔に変えてその右手を握る。 一見すると非常に微笑ましい光景だが、恵はまだナマハゲをその身に宿したままだ。っていうかこいつ感情を抑える訓練とかしなかったのか? 「摩波ぃ! よせ、罠だ!」 「はい?」 恵の毒牙にかかるのを見過ごせるわけもなく声を上げたものの、摩波はすでに恵の手を握っていた。そして、恵の目が怪しく光る! 「隙ありですわこのくそ女あぁぁ!」 言いながら恵は握った右手を思いっきり手前に引き、その衝撃で前のめりになった摩波の無防備な後頭部に── きゅぽん。 と思ったら摩波の右手首がとれた。 「おあああああぁぁぁあああ!?」 「安藤さん落ち着いて」 「なんで落ち着いてんだてめえは!」 完全パニック100%の俺を完全冷静100%の穂波がなだめる。普通なら女の子がこんなに冷静なのに俺ってやつは無様に取り乱して……となるところかもしれないが、こんなもん落ち着けというほうが無茶な話だ。 「……あふぅ」 取れた手首を握手の形そのままに握っていた恵だったが、処理能力の限界を超えていたのか、肺の中の空気を搾り出すように息を吐くとそのまま後ろ向きに倒れてしまった。「ごぼめしゃ」とか普段聞けないような音を奏でながら机やら椅子やらの角に後頭部をぶつけまくってたけど、大丈夫だろうか。……うん、大丈夫だろう。恵だし。 「──えーっと……」 場の惨状を目の前にして呆然としていた摩波だったが、いそいそと恵の右手から自分の手を取り戻すとそれを手首にジョイントし、先ほどの恵同様「てへっ」とかわいらしく舌を出したが、やはり先ほどの恵同様、可愛さよりも怖さが先立っていた。 「……武田。穂波のこと抑えてくれ」 パチン、と指を鳴らしそう言ってみると「御意」という声とともにどこからともなく現れた武田が穂波を後ろ手で拘束した。 ……いや、大して期待はしてなかったんだけど。こいつら誰がやっても来るのな。しかも飛躍的に身体能力があがってやがる。もしかしたら恵なんかよりよっぽど忍にむいてるんじゃねえのか? まあ、それはさておきだ。 「ちょ、安藤さん、どういうことですかこれ!?」 「穂波、知ってることを全部吐け」 いきなり現れた武田に驚いている穂波に詰め寄る。 「な、なんのことですか?」 「ふざけろ。いくらなんでもこれをごまかしきれると思うなよ。おかしいと思ったらすぐさまつっこむからな」 「あ、安藤さん? 暴力はいけないですよ……?」 「心配すんな。的外れならただのツッコミにしかならないから。ただ、先に言っとくけど的を得ていたら後ろにいる武田もろともごっちゃになって吹っ飛んだ挙句止まったときにはあつく抱き合ってる形になってるからな」 恐怖と期待をはらんだ「えぇ!?」という声が二つ聞こえてきたが、どっちの声の主がどっちかを明かす必要はあるまい。 「は、話します。話しますから離してくださいっ」 「おっけー。もういいぞ武田」 「……御意」 なんだかしょんぼりした様子で穂波を開放し、とぼとぼと帰っていく武田。うん、便利だ。 「安藤さん、恐ろしいこと考えますね……」 穂波が警戒した目でこちらを見ている。 「普段お前らにやられてる仕返しだ。で、摩波のあれはどういうことだ?」 「えっと、つまりですね……あれは摩波ちゃんじゃないということで……」 おびえながら訥々と語り始める穂波。ちくしょう、なんで俺が悪いことしたような気分になってるんだ。いや、それよりもだ。 「そんなことはわかって──あれ?」 そもそも何で俺はあいつを摩波だと…… 「てめえ、まさか……」 「あ、あはは。業使っちゃいました」 いたずらが親にばれた子供のような苦笑いを浮かべる穂波。その苦笑いにグーをいれたくなったがぐっとこらえてみた。グーだけに。 いや、つまらないのはわかってるから。 「じゃあ、あれは誰だ?」 つまらない駄洒落(自己申告)をはさんで落ち着いたところで少し離れた場所でおろおろしている摩波(仮)を指差す。 「まあ、その辺は摩波ちゃんに説明してもらいましょう。今日、放課後開いてます?」 「んあ? 別に開いてるけど」 「じゃあ今日摩波ちゃんのところに行きましょう」 「何だあいつ。病気とか怪我とかしてるんじゃないのか?」 「違いますよ?」 ずる休みかよ。 「……了解。美樹の殺人デコピンでも見舞って目を覚ましてもらおう」 「あんどっち、今ひどいこと言った……?」 「気のせいだって。美樹も摩波を見舞いに行こうぜ!」 「え? あ、うん」 俺が殺人デコピンの餌食にならないよう強引に話をぼかして美樹も連行することにした。 「いや、しかし……摩波の部屋っていうのはちょっと想像つかないな」 「いたって普通のかわいい女の子の部屋ですよ?」 「てめえが言っても説得力がまるでねえよ」 放課後、俺と美樹は穂波に寮まで案内された。あのイカれた性悪妹の部屋がまともなそれだとはどうにも思えないのだが。 ちなみに摩波(仮)は穂波のおつかいで夕飯の材料を買いにいって今は不在だ。 そして一枚のドアの前にたどり着いた。 「ということでつきましたー。ここが私と摩波ちゃんの愛の……こほん、私と摩波ちゃんの部屋ですよー」 「今怖いこと言ったよね? 何か怖いこと言ったよね?」 「気のせいですよ」 「……ですよね」 気のせいなもんか、と言いたかったがつっこんではいけない話のような気がしたので黙っておくことにしました。人はこうして成長するんですね。嫌な方向に。 「じゃ、安藤さん。ドア開けてください」 「なぜ俺が」 「レディーファーストって言葉知ってます?」 「ぐ……わかったよ」 なにかが微妙におかしい気がしたが穂波の言うことも最もなので引き戸になってるドアに手をかけて横へとスライドさせる。直後、がちゃーん! という派手な音とともに黒い膜のようなものが目の前を通り過ぎた。 「うわぁ……」 後ろで美樹が感嘆というか、あきれているとというか……いろいろな感情がまじった声を上げる。 一方、俺はと言えばドアを開けた状態のまま固まっていた。 「……穂波さん」 ガチガチの体と頭を叱咤激励してなんとか声を絞り出す。 「ちぇー、失敗です」 「失敗じゃなくてですね。こういうときに黒板消しやらスリッパやらが落ちてくるのはわかるんですよ。定番ですし」 震える声は自然と敬語になる。 「定番ですよねー。安藤さん、わかってるじゃないですか」 「ギロチンは定番じゃねえだろボケ!」 今は床に横たわってる必要以上に冷たい金属を踏みつけながら怒鳴りつける。 「あんどっち、落ち着いて。ちょっとしたいたずらじゃない」 「俺、たまにお前の器のでかさを尊敬することがあるよ」 ちょっと待て。これがいたずらだとすると……いや、仮定もしたくないけど強引にするとしてだ── 俺がこの殺人器具の仕掛け主を思い浮かべるとほぼ同時に部屋の中から人影が現れる。 「はぁ……ちゃんと首切られてろこのクソてぃっしゅが。空気読め」 「てめえ……」 言うまでも泣く、人影の主は摩波だった。なんで心底がっかりした顔してやがんだこの女。大げさにため息までつきやがって。 そんなこんなで一コントいれたところで(俺は死に掛けたが)摩波の部屋に入る。摩波が一瞬俺をみてすげえ嫌そうな顔をしたのはわざとなのだろうか。 そして部屋の中はというと壁の色はどことなく鉄っぽく全く飾りっけのない、強いてインテリアというのならどの生物からも微妙に遠いよくわからない人形で女の子らしさとは程遠い部屋という俺の予想を大幅に覆し、摩波の部屋の中はぬいぐるみやら観葉植物やらが置かれていてなるほど普通の女の子の部屋だった。 いや、俺のイメージが大概だという意見もでるかもしれないがともかく普通の部屋だったことに驚いた。 「姉さん。なんで美樹さんとおまけつきお菓子のお菓子がきてるの?」 「それ逆に言いにくいだろ」 いらなさは激しく伝わるがテンポの悪さは絶望的だ。やはりこういうのはさくさくいかないと。 ……なに言ってんだ俺? 病んでるのか? しかしこいつ、部屋は普通でもやはり性格の悪さとは関係ないらしい。 「ほら、あの子のことでちょっとね」 「あぁ……って、もうばれたの?」 質問に答える穂波に対して、当の摩波は抜けたことを言っている。 「性格がぜんぜん違うだろ。お前はあれに自分の代わりが勤まるとでも思ってるのか」 「てぃっしゅには聞いてない。てぃっしゅ帰れ。海に帰れ」 ひでえ言われようだ。 「うーん……まだ性格に改善の余地あり、か……」 「俺はてめえの性格に改善を要求してえよ」 「あんどっち」 なにやらぶつぶつとつぶやく摩波に突っ込んだ俺を美樹が嗜めたとき、摩波の部屋のドアががらりと音を立てて開かれた。 「マスター、おねーちゃん。ただいまもど──」 三人目の宮崎だった。 「…………」 「…………」 呆然とする俺と謎の宮崎。 「穂波よ」 「なんでしょう?」 「お前双子って言ったよな?」 「気のせいじゃないですか?」 「気のせいじゃねえよボケ」 本当に息をするように嘘をつきやがるなこの女は。 「えっと……」 所在なげに立ち尽くしていた宮崎が穂波と摩波を交互に見やる。 「MAP。学校でいろいろあったみたいだけど何も隠さないでいいから」 「なんだそのメカメカしいなま──」 「かしこまりました、マスター」 名前、と言う直前に宮崎が返事をした。えぇ、しちゃいましたよメカメカしい名前の彼女。 「え? あの……えぇ?」 「あんどっち。混乱する気持ちもわかるけど落ち着いて」 ちょっと待て。もしかしてこの状況についていけてないの俺だけ? 「あの……矢田美樹さん。つかぬことをお伺いしますけども」 「うん? なに?」 「なんでそんなに落ち着いてるんですか?」 「学校でほーやんに全部聞いたから」 「アホなんですか? この場にいる人間は俺を除いた全員がなんですか?」 そのうそ臭さ満点の情報を信じますか。しかも発信源は穂波だ。俺ならグウの音も出すより早く超却下。それこそ神速に匹敵する速度で有史以来のメモリアル却下を披露してるところだ。 「アホはてぃっしゅだけだろ。民主主義の恐怖を思い知れ」 「安藤さんも見たでしょう? 人間は手首が取れたりしません」 「実際見ちゃったら信じないわけにはいかないしねー」 摩波、穂波、美樹に三者三様につっこまれてしまった。それにしてもあの偽摩波とこのマジ摩波を間違えていたのが悔やまれる。性格がぜんぜん違うじゃねえか。恐るべし穂波の業。 「じゃあ140歩くらい譲ってロボでいいけどさ……そのMAPっていうのはなんなんだよ。地図か?」 「Miyazaki Android Prototype、略してMAP。それがわたくしの本当の名前です」 MAPと呼ばれた彼女はそう答え、「嘘をついてすいませんでした」と付け加えた。その言葉を受けて摩波が口を開く。 「MAPは私が『造った』アンドロイドってこと。名前こそプロトタイプになってるけど多分これ以上のものはつくれない」 「……急に信じるのは俺にはちょっと荷が重いな」 「重かろうが軽かろうが真実だ」 「むぅ……」 「ねえねえまーやん」 頭ではわかっていても心が追いつかずに煮え切らない俺を横に美樹が摩波に話しかけた。 「……はい、なんですか美樹さん」 どうも摩波は美樹とは相性がよくないらしい。返事がどこかぎこちない。っていうかこいつでも敬語使うことがあるのな。 「あの子がまーやんが造ったヒューマノイドっていうのはわかったんだけどさ。名前、なんとかならないかな?」 「名前、ですか……?」 「うん、可愛いのに『MAP』じゃなんだか味気ないよ」 「可愛い、ですか……」 おぉ、摩波が照れてる。美樹は恥かしい事を恥ずかしげもなくさらっというからな。 「……MAP、あんたはどうしたいの?」 「え?」 今までずっとことの成り行きをみていた彼女がいきなり話を振られてはっとなる。 「名前、欲しいの? あんたが欲しいならちゃんとしたのを考えるけど」 「わたくしはマスターさえよければどちらでもかまいませんが……」 「じゃあ決定。ちゃんと名前つけようっ」 摩波が何かを言う前に美樹がうきうきと張り切りだす。 「ちょ、美樹。もしかしてお前がつけるのか?」 「ん? 最後に決めるのは私じゃないけど、せめて案くらいは出しておこうかなーって」 俺の嫌な予感もうきうきと張り切りだす。あだ名のセンスがぶっ飛んでるしなこいつ。 「MAPでしょ……元の名前も残しておきたいし……」 「…………」 美樹が十数秒ほど右手を顎に当ててうろうろしている間、美樹以外の全員が沈黙を保つ中、満を持して名前が告げられる。 「……まぷらっち!」 場の空気が一気に弛緩した。MAP(暫定)は固まってたけど。 「却下」 「容赦なし!?」 「容赦とかどうとかじゃなくて、ありえねえだろ」 あだ名ならまだしも。俺ならあだ名でもお断りだけどな。 「あ、あはは……矢田様、気持ちだけでも十分うれしゅうございますからね……」 「うん……まぷらっちがそういうなら……」 俺の「却下」を受けてようやく脱力したMAPが安堵したように美樹のフォローに入る。ロボにまで嫌がられるとは、恐るべきネーミングセンス。若干一名同じセンスを持ち合わせている爆眠超人もいるけど、あいつはあいつで例外っぽい。それから却下された呼称を使ってんじゃねえよ。気づけ。遠まわしに拒否されてることに気づけ。 「名前ねぇ……」 「いざ考えてみると難しいですね……」 摩波と穂波も頭をひねって考えているがいまいち良い名前が浮かんでこないようだ。関係ないが、考えるしぐさが同じなのは双子ならではと言ったところだろうか。 「やっぱりまぷら──」 「まあそう焦るなって」 諦めきれないのか、再び呪いの名を口にしようとする美樹を制止する。まあ、別にとめる義理もないんだけど摩波が生み出したとは思えないほど健気だし、なんとかしてやりたいものだけど…… 「……んん? 穂波に摩波……」 今なんかすとんときたな。 「安藤さん、何かいい名前が思いついたんですか?」 「てぃっしゅの絶滅寸前の脳細胞からまともな意見がひねりだされるとは到底思えないけどな」 美樹さんにつけてもらったほうがまだまし、と美樹に聞こえないように付け加えたのを聞き逃さなかったが、あえてそれを引っ張り出すほど俺も命知らずではない。 「いやな、お前ら双子だろ。穂波と摩波」 「いまさら何確認してるんだ。痴呆か。ついに痴呆なのか」 「黙れ妹。……そうじゃなくてさ、せっかく良い感じにつながってるんだからそれ採用したらどうだ?」 「……屁波ちゃん? 女の子にそれはどうかと思うけど」 「そっちじゃねえよ」 俺の言葉を聴いて美樹が案を出す。なぜそっちに行く。しかも割り当てた漢字がまた絶望的に不憫だ。 「観波なんてどうだ? どうも性格的に一歩引いて見守ってる感もあるし、魅波じゃあざといしな」 「あざといの意味はわからんがな」 摩波が軽く一ツッコミ。 「まあ、私は別に本人がよければどうでもいいと思ってるけど。MAP、あんたはどう思う?」 「観波、ですか……」 そういって彼女は少し困ったような顔をする。 「わたくしがマスターやおねーちゃんと同じようなお名前をいただくのは、失礼ではないでしょうか……?」 「そんなに難しく考えなくていいと思うよ」 おそるおそる言葉をつむぐ彼女に対し、美樹が口を開く。 「学校で見てる限りじゃほーやんは完全に妹として扱ってたし、生みの親のまーやんなんてそれこそ言わずもがなでしょ。少なくとも私やあんどっちも含めてこの場にいる全員、誰もあなたのことロボットだなんて考えてないと思うよ?」 「あぅ……」 美樹の言葉にさらに困ったような顔になり、摩波のほうへと向き直る。 「あ、あの……マスター」 「私は気にしないってば。てぃっしゅが出した案をとるのは癪だけど私も姉さんも他に良い名前は考え付かないし、あんたの好きなようにしていいよ。もちろん、私もあんたのこと物みたいに考えちゃいないしね」 「おねーちゃんは……?」 「ん? 私もかまわないよ? せっかく新しい妹ができたのにいつまでもMAPじゃ味気ないとは思ってたしね。もし気に入ったのがなければこの際自分で決めてもいいとは思うけど」 だから本人がいいならまぷらっちでも、と苦笑しながら穂波は付け加える。 「……では、安藤様。観波という名前をいただいてもよろしいでしょうか? わたくし、この名前がいいです」 「もちろん。ダメなら最初からいわねえよ。美樹は若干がっかりしてるけどな」 「べ、別にがっかりしてなんかっ。観波ならみーやんで呼びやすいしねっ」 そこはかとなく強がり色が強かったが、美樹のためにも見なかったことにした。 「ほんと、てぃっしゅが名付け親じゃなければもっと喜べるんだけどな」 「あはは、いいじゃない摩波ちゃん。観波ちゃんも喜んでることだし」 「それが余計癪に障るんだけどね……」 そう言って摩波はひとつ、大きなため息を吐き出す。てめえ、そんなに俺のこと嫌いですか。 ……嫌いなんだろうなぁ、たぶん。 「皆様……わたくしのようなもののために本当にありがとうございます。今日は腕によりをかけて夕食を作りますから、よろしければ安藤様に矢田様もお召し上がりください」 そうして場を締めるように観波は一度深く頭をさげ、俺と初めてあったときのように無垢な笑顔を浮かべるのであった。 数日後。 「マスター、おねーちゃん、お弁当をお持ちしました」 「ん。ありがとう観波」 「ん〜♪ 観波ちゃんのご飯はおいしいからね〜。お姉ちゃんはこんなにいい妹を二人ももてて幸せだよ」 昼休み、弁当を届けに届けに観波が学校へとやってきた。普段は穂波と摩波の部屋で家事に従事しているらしい。 「よう。どうよその後は」 教室の入り口まで弁当を受け取りにいった穂波と摩波のところへと向かい観波に話しかける。 「ごきげんよう、安藤様。マスターにもおねーちゃんにもとてもよくしていただいて、わたくしは日々を幸福に過ごしています」 「ん、そりゃよかったな」 「人様の家庭の事情を聞きだして何様だてぃっしゅ」 「もー摩波ちゃんも観波ちゃんも可愛くて。毎日三人でらぶら──こほん。仲良く暮らしてますよ」 「…………」 もはや何も言うまい。 「そうそう、安藤様。わたくし、安藤様と矢田様の分も作ってまいりましたので、よろしければどうぞ」 「マジすか?」 「マジです」 そういって観波は満面の笑みとともに俺にも弁当を差し出してきた。まあ、実際観波の料理はかなりうまかったし、もらえるものなら喜んでもらうとしよう。 「ん、ありがたくもらっておくよ。さんきゅーな」 「いえいえ、お気になさらないでくださいませ」 「それが目的か。卑しいてぃっしゅめ」 「不名誉なこと言ってくれてんじゃねえよ」 「安藤様はわたくしの父親のようなものですから」 父親のようなものらしい。 「観波。お願いだからそれはやめて」 「いーえ、いかにマスターのお願いと言えどもこれだけは譲れません。安藤様は間違いなくわたくしの名づけ親なのですから」 摩波が真剣な顔で観波に告げるが効果は皆無のようだ。健気健気と思っていたがそこは宮崎。一筋縄ではいかないらしい。 「ではわたくしは帰ってお洗濯をしなくてはいけませんのでこれで失礼いたします。マスターもおねーちゃんも安藤様も、ごきげんよう」 そう言い残して歩き去る観波の後頭部の真ん中では、ポニーテールがひょこひょことゆれていた。 「さてさて、じゃあ観波ちゃんの特製お弁当をいただくとしましょうかねー」 頭の左の方で束ねた髪を揺らす穂波は自分の机へと帰っていく。 そして、穂波とは反対側で髪をまとめている摩波は穂波についていくことなく俺の頭をつかむのであった── 「……はい?」 「おいてぃっしゅ」 「え? なにこれ? なんですかこの状況?」 せっかくいい話で終わりそうだったのに。 「いいから聞け」 「は、はい……」 摩波は俺の頭をヘッドロックの形で固定したまま続ける。ぶっちゃけ怖え。そりゃ敬語にもなるってもんですよ。 「観波はお前に名前をもらってからすごくうれしそうにしてる」 「左様でございますか……」 「私はそういうのには疎いから、ずっとMAPと呼んでた」 「そうでございますか……」 うわぁ……淡々と話してるよこの人。斬られる? このまま摩波の部屋にしかけてあったギロチンみたいのに首切られるの俺? 「あの子は私にとって娘で妹だからできるだけ毎日幸せに過ごさせたいと思ってる。だから……お前にこういうことを言うのはすごく、実に、かなり不本意だけど……」 「そんなに不本意なのでございますか……」 そこまで言ってから、摩波はきょろきょろと辺りを見回すと俺の耳元に口を寄せて、それでもなおぎりぎり聞こえるくらいの声で「ありがとう」と言った。 「……え?」 今の摩波が言ったのか? それともまた観波がもぐりこんでるのか? などと考えてるうちに摩波は俺の頭を解放する。 「ちょ、摩波? お前本物か?」 「うるさいしゃべるなちり紙」 「ちり紙て」 「いいから早く美樹さんの所に戻れ。せっかくの観波の弁当が冷えるだろ」 ぶっきらぼうにそう言い残し、摩波は穂波のもとへと足を進めていった。 「……はは」 間違いなく摩波だった。観波じゃまずありえねえ。 「じゃ、せっかくの弁当だし、ありがたくいただくとしようかね……」 ただ一人教室の入り口にのこった俺も机にもどっていくのであった。 そして、俺の机では「お帰りあんどっちー」といつもと変わらない笑みを浮かべる美樹と、それからもう一人、「あぁぁぁ! 敵が増えたぁぁぁ!」と半狂乱で嘆く恵が待っていた── ちくしょう、せっかくいい話で終わりそうだったのに。 |
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